調査者:炭本祥生1AG98108

                         田中嘉人1AG98128

村の名前:満越 

話者:松本正照:昭和12年生

   松本リセ子:昭和9年生

しこ名一覧:

   小字・小田    コタ ヤラデ

      名切    カワバタ シンデン ナキリ

      山添    ムカイノ カゴノタニ

      樋ノロ   ヒノクチ

      上場    ツツミノタニ ノボリアガリ スエイシノハナ

村谷    サカンヤマ ナカネ タンヤマ

亀ノ谷   イオンツジ カメノツジ インガメノハナ

後口津   ウシロヅ

前浜    シンデン クウラ クウラノタメ クウラノハナ

西ノ谷   ニシノマタ

岩谷    ウシロゴウラ イワヤ ウシロゴウラノハナ

浦河内   コッポヤボ

地理府   チリフ チリフノハナ

島ノ山   シマノヤマ

山などのことも同じようにいう 例:コッポヤボ

なおサカンヤマは山ということではない

 

スエイシノハナ、インガメノハナ、クウラノハナ、ウシゴウラノハナ

チリフノハナ、アカセノハナは、海に面したところをいう。

クウラノタメは、クウラと呼ばれるところに、ため池がありそのため

クウラノタメと呼ばれるようになった。

名切にあるカワバタは、川に面したところにあるため。

名切、前浜ともにシンデンというしこ名があるが、どちらもそう呼ぶ。

屋号(部落のなかの呼び名)

        タンヤマ

        カマエ

        ツジ

        マツノシタ

       トウゲ

       トンバタケ

        ヨコチョウ

       ブンド

         シモ

        ドノシロ

       アカハゲ

        タナカ

 

・使用している用水のなまえ

展望台のため池、山からの出水

・配水の慣行、約束事

一日Aという田がいれるとしたら、明日はB、二日間Aにみずをいれたら次の二日間はBにいれる、というようにひく。

・昔の水争い

水争いは特になかった。となりの大浦岡ではよくあったという。

4年前の大早魅のときには

特に水対策はしなかった。 田の端が乾いたりしたが、そういった田はそのままにしていた。

・よくとれていたところととれなかったところ

米がよくとれたところは、山添、名切

とれなかったところは、岩谷(なお岩谷にはイノシシがいる)

・草きり場について

草きり場は、昔はあったということ。 そこをよぶときもタンナカ名で呼んでいた。草きり場は共同の土地であることがおおかった。今はない。

・海

海に関しては、かいとりをしていたということ。しかし、魚をとるとい

はそれほどなかったらしい。

・化学肥料が入ってから

化学肥料は手間がかからないので、使うようになった。戦前は、草、人間のたい肥や、牛のたい肥を肥料として使用していた。

・村の生活に必要な土地

入り会い山(村の共有の山林)はあった。

・村の道

上場道     材谷・上場間

浜道      満越・大浦間

瓜ケ坂道   満越・瓜ケ坂間

・米の保存方法

昔家で食べる分の米は玄米で保存をしていた。鼠や虫の被害はくすりで

防いだ。

・村の過去

50年前の村では、養蚕もあるにはあった。林業として、たきものがあった。また野菜の現金収入もあった。

・村のこれから

今は嫁が来たら、その家が変わっていっていくということ。変わっていくとは、農家を続けていくかどうか。今は勤めに出る家がでてきた。

また、農家の仕事はとても自由に時間を使えていいけれど、今の人はやりたがらないというようなことをおっしゃっていた。

・一日の行動記録

627日、僕らは朝830分に肥前町へ向けて出発した。バスの中の僕らの心は不安でいっぱいだった。なぜなら、僕らは二人とも地図を読む事が満足にできず、また体力にも自信のない二人だったため僕らがバスで降ろされる場所から目的地へたどり着ける保証は少しもなかったからだ。また例えたどりついたにしても現地の人に受け入れてもらえるか、受け入れてもらえたとして僕らはきちんとした行動が出来るのか不安の種は尽きなかった。

 僕らの不安をよそにバスは進み、ついにバスを降りる場所へ到達した。「もうあともどりはできない」そんな感じだった。僕らは目的地、満越に向けて歩き出した。最初は他のペアの人たちと一緒に行動を共にしたので気分が楽だったが、途中通りがかりの男性に道を聞くと「この道は遠まわりになるので少し戻って牛小屋の道を行ったほうがいい」と教えてもらったので、僕らは彼が示したと思われる道を牛の匂いをかぎながらひたすら進んだ。しかし、その道は驚いた事に林の中で途絶えていた。考えてみるにはそこには何か植えてあったのでそのための細い細い道に入ってしまったのだ。僕らはあせり、急いで引き返した。冷静になってあたりを見回すと何ともう一つ牛小屋があり、その脇にはどうやら正解らしい道があった。僕らはその道を進んだ。山あいのみちで僕らはひどく暑さを感じたので、上半身はだかでただ目的地をいそいでいた。既に約束の時間がせまっていたからだ。

しばらく歩くと、広い道に出てきた。しかし、喜んだのもつかの間、今度は僕らの一人が上着をどこかに落としていた。そこで急いでいま来た道を引き返し上着を見つけた。続くハプニングに二人ともぐったりしたが、目の前に海が広がっていたので気合がでた。看板をみるとそこは大浦浜だった。近くにいた農作業をしているおじいさんに満越の区長さんである松本正照さんのお宅を尋ねると、快くおしえてくださった。そこから少し歩いたところにお宅はあった。

松本さん夫妻は快く僕らをむかえてくれた。僕らは予定していた到着時間を大幅に越えていたので申し訳なく思った。瓜ケ坂から歩いてきた事を説明すると僕らがはじめほかのペアと進んでいた道のほうが早いと教えられた。また昼食をご馳走してくれる様子だったが僕らは用意していたので丁重に断った。それから僕らは訪ねた理由を話し、質問を開始した。

質問は時々理解してもらうのにてまどうときもあったが、おおむね順調に進んだ。区長さん夫妻はしこなのわかるぎりぎりの年齢だろうと、自らいわれていた。かなりの時間、お話をうかがったがいやな顔ひとつせずとてもいいかたがただった。村に一つ大きな木がありそれを見にも連れていってくれた。2時半ぐらいになったので僕等は行きに2時間近くかかったのを思い出し、帰りは道に迷うことはないだろうと思いつつもお別れの言葉を切り出した。夫妻も久々に昔の事を思い出し楽しかったといってくださった。また、帰りは展望台を通って帰りなさいと展望台の手前まで送ってくださった。しかし、時開の関係で残念ながら展望台に行く事はできなかった。僕等は行きとはまた違った道で帰る事に−抹の不安を感じながらも何故かしら晴れ晴れした気分で道を進んだ。

自分たちのいるところがどこか本当に分からなかったが僕等は二人で歌を大声で歌いながら楽しく帰っていった。すると、行きのあの分岐点にいつの間にやらついていた。バス停まで行くと、まだ僕等のほかに九大生はきていなかった。そうこうするうちにだんだんみんなかえってきてみんなで自分たちの体験を話してバスを待った。そして、僕等はバスに乗り長くいろいろな体験をした一日をおえた。



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