佐賀県唐津市肥前町入野東

 

1EC98177 赤羽克仁

1EC9821  鈴木篤

 

話者:

井上愛子さん(昭和12)

井上スエ子さん(昭和3)

井上末夫さん(昭和10)

井上キクさん(昭和9)

 

 我々(赤羽・鈴木)は、入野東を調査するにあたり、まず村の住民に「しこ名」について尋ねた。しかしながら「しこ名」といっても村の住民にとってはそれは当たり前のものであるから首を振られる方が多かった。またもう忘れられている方もいた。そんな中、畑仕事をしていた井上愛子さんは情報の得られない我々にしこ名を1つ教えてくれた。「打腰川」である。

 そこで我々は村の水がどこから、どのように取り入れされているかを尋ねた。愛子さんがいうには、入野東地域では、2年前からどこでも松良川から引いているらしい。6年前から治水工事が始り、現在に至る。そこで現在と昔を比較していただいたところ、村の住民の本音が聞き取れた。現在では水がいつでも確保できる。そのおかげで食料不足になることはまずない。昔は天候に合わせた農業を特に強いられていた。例えば4年前の水不足のときなどは水がないためわざわざ山の奥までいって湧水をすくってきたとか・・・。このようにあるところには水はあるが、ないところにはないといった状況に見舞われていた。このように比較検討すると、便利になった現在の方がどういても良いように思われた。しかしもう1つ。それは自然の減少である。治水するにあたり、自然開発が行われるわけだが、生活が便利になると同時に自然は減っていく。便利になるのはうれしいが、やはり自然が少なくなるのは、なんともやりきれなくなるらしい。その辺は田舎を思う思いやりがみられた。

 さあ、次なる「しこ名」を求めて我々は愛子さんに別れを告げ、愛子さん推薦のスエ子さんを尋ねた。さすがに推薦だけにいろいろと教えていただいた。まずは米について。入野東は、入野西に比べて、米の収穫が多かったそうだ(現在も)。西に比べ東は水が比較的に豊富で、土も肥えている。そのため東の方に裕福な家庭が多かった。しかし、その格差も科学技術が発達してきた現在ではだいぶ小さくなってきたようだ。その1つの例に化学肥料の登場があげられる。

 昔は肥料として牛糞などを利用していたが、最近は化学肥料を使うところが増えているらしい。化学肥料単独で使うというのは少なく、糞もいっしょに使うそうだ。また最近では昔よけ(防虫剤)を必ず使うそうだ。昔は自然の虫よけしかなかったため、米を含め、その他の農作物の収穫は現在に比べ数倍劣るそうだ。その点収穫量の増えた現在は裕福になったと言える。だが、農業の収入のみで生計を立てている家族はほとんどない。スエ子さん宅はその収入の90%は農業だそうだが、残りの10%は息子などが酒をつくる仕事に携わっているため、そこからのものである。スエ子さん宅は比較的裕福であるため、農業率が高いけれど他の家庭はもっと低いのである。

 ところで、この地域には井上さんが非常に多い。だから住民どうし名前で呼び合っている。まあそれだけ住民のつながりが深いのだろう。

 

〈感想〉

 肥前町へ627日に向かった。バスで2時間以上かけていった。ただ、肥前町へ行き、調査することだけを目的として向かったわけだが、とても気持ちの良い思いを味わうことができた。

 バスで道の地で降ろされ、何もわからず、調査することになった。しかし、調査するにあたって、とてもあたたかく迎えるかのように町の人々は接してくれた。質問には快く答えてくれ、また、物知りの人を紹介してくれるなど、町の人の心のあたたかさにびっくりした。紹介してもらった人を訪ねると、質問以外のことも話してくれた。肥前町は田舎の感じがとてもあり、我々の住む場所の違いにも驚かされた。我々の住む人と肥前町の人との違いにも驚かされた。我々の住む人と肥前町の人との違いも明確に見ることができた。たった一日の出来事だったが、数多くの事を学ぶことができ、自分自身も満足することができた。こういう機会がこれからあるかどうか分からないが、もしまたあれば、喜んで参加したいと思っている。



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