肥前町万賀里川 調査者 1EC98164 森永裕子 1EC98208 重絵里子 しこ名一覧 田畑 小字 甚手田のうちに ヒノクチ(樋ノロ) ※隣の小字、樋ノロとの境界があいまい でそのなごり 小字 小太郎のうちに カゴハタ 小字 上ノ川のうちに イシモリ(石盛) 小字 山川のうちに ヤマゴヤマ 小字 平石のうちに ナンコバ、ウワバ ※ウワバは、隣の小字、影と仁多野尾の3つの小字にまたいでいる。 小字 曲川のうちに マエダ、ヒガシヤマ 小字 下長谷のうちに セリダ、スゲンモト(菅本?) 小字 黒仁田のうちに ゼンモンダ 小字 女坂のうちに ヤマナカ、ドーデ(松ケ谷) 山 小字 綿打のうちに ザギ 道 小字 上ノ川のうちに ヤオリミチ(八折道) 小字 曲川、下長谷のうちに ナンコバミチ 小字 神ノ前のうちに タカクシダミチ(高串田道) 水利 万賀里川は、川がないので昔から人工の溜池を利用している。大字万賀里川の中に、現在使用中の溜池は、5〜7。水源は、出水(地下水)と雨水。 用水に関する問題や争いは、一切起こっていない。
古道 昔は、入野、高串(田野)方面から、その土地でとれる魚介類を売る人が通ってきたことから、『高串田道』と呼ばれる道があったが今はそのような呼び方はしない。 まだ道路が舗装されていないころは、『八折道』と『ナンコバ道』が万賀里川から 出入りするための主な道であったが、今は国道ができ、他の近い道が舗装されたためあまり使われていない。 昔 の米以外の収入 日雇い………大型農家の手伝い。しかし、農繁期に限られる。 産 物‥‥‥…山に自然にできる栗(笹栗)ヤモモ、山イモ、ツクネ、柿などを採って売っていた。 神仏用の柴や百合の花も採集。 ※出稼ぎにいく人はいなかった。
戦前の万賀里川 農 家 30戸 葉煙草 4戸 生 糸 3戸 公務員 2戸 大 工 1戸 石 工 1戸 教 師 1戸 機 織 1戸
日本で唯一の警神 約100年前、村でコレラが流行し、多くの犠牲者が出ていた頃、熊本の洒水町から来た警官が村人を助けるために自ら犠牲となってコレラを抑えた。これを称えて、日本で唯一の警神とし明治28年に増田神社を祭った。 ※他にも、昔は熊本からいろんな人が来たらしい。
感想 まず、私たちと同年代の人が一人もいなかったことに驚きました。訪ねた家は、ほとんど60代後半以上の方々ばかりでした。私たちは、二人とも佐賀県出身なので結構楽にできるだろうと思って臨みましたが、肥前町には行ったことがなく大変でした。同じ佐賀県でも、まったく知らないことばかりでかえって新鮮で楽しかったです。今回のような経験は、一生に一度の貴重なものになりました。まさに、「歩き、み、ふれる歴史学」を学んだと思います。私の地元の町にも、しこ名のような呼び名があることに初めて気付きました。今度、自分の町についても祖父母に尋ねてみようと思います。より身近なので興味があります。歩きすぎてとても疲れたけど、よい思い出になりました。
話者 堀田久 大正9年生まれ 西島正勝 大正12年生まれ 堀田トミノ 大正13年生まれ 宮崎益雄 昭和5年生まれ 波田隆夫 昭和6年生まれ 田口耕三 昭和11年生まれ |