佐賀県唐津市鎮西町高野

 

1LA97062 大仁田美和

1LA97282 山脇志乃

 

田畑

小字原のうちに

サルメゴ(猿目合)、オウギダ(扇田)

タクボ(田久保)、シモゴウラ(下ゴウラ)

イワモリ(岩森)、サカキ

コウラ

小字江護のうちに

エゴ(江護)、マエダ(前田)

カミダ(神田)

小字古川のうちに

フルカワ(古川)、ノハラ(野原)

 

小字竹後のうちに

タケンウシロ

小字原のうちに

トオダゴエ(遠田越)

オオガタノウドウ(大型農道)

入会地

小字原のうちに

ノハラ(野原)

用水

小字江護のうちに

エゴンカワ(江護川)

ほか

小字江護のうちに

イチリマツ(一里松)

 

〈屋号〉

中山丈一さん宅・・・ムカエ(向かえ)   この3軒は集中しており姓が同じため、家の位置

中山武治さん宅・・・シモ()      関係により、このように呼ばれる。

中山俊光さん宅・・・カミ()

中山良雄さん宅・・・フルカワ(古川) − 昔、その近くに川が流れていたから。

片岡哲也さん宅・・・オカヤマ(岡山) − 由来はよくわからない。

 

現在は、屋号はこの他にあまり使われておらず、同じ姓のところが多いため、下の名前で呼び合っておられるそうだ。

 

〈入会地について〉

 高野の入会地は原字にあるノハラ(野原)というところである。現在は利用されていないが、当時は牛などの放牧地だったそうだ。昭和40年頃には道を挟んだところに、牛や馬、羊まで対象とする家畜保健場もできており、この辺りでは家畜が盛んだったことがうかがえる。現在でも家畜の飼育は行われているが、それぞれの家に設備が整っているので、入会地は利用されなくなった。

 

〈祭りについて〉

17日 法華行(ほっけんぎょう) = 1年を円満に過ごせるように祈る祭り。

114日・15日 もぐら打ち = もぐらを打つための棒を作って、主に若者が畑の周りを叩く。こうするともぐらが出てこなくなると伝えられている。

117日 的射り講(まといりごう) = 屋房神社に的を作り、小学生からの若者が、その的を射る祭り。

 

3月 彼岸籠(ひがんごもり) = 春と秋の2回。季節の変わり目に行われる祭り。

 

6月 田植願成就(たうえがんじょうじゅ) = 今と違って、手で田植えをしていた頃、田植えが無事終わることを祈って行われる。

 

8月 ブゼンブ様 = 小字原にある入会地は、昔、牛などの放牧に使われていた。当時牛が死ぬと、入会地の頂上に埋められたので、頂上には牛の墓地ができた。そこに祀られていたのが、ブゼンブ様である。8月になると、ブゼンブ様のもとで、宴が行われた。

 

9月 彼岸籠(ひがんごもり) = 3月に同じ。

 

10月 猪の子様(いのこさま) = 猪の日に行われる子供の祭り。

 

11月 うしの日

   田の神様(たのかみさま) = 稲の刈り入れが終わったあとに行われる豊作を感謝するお祭り。

 

隔月 庚神様(こうしんさま) = 現在は行われていないが、娯楽がほとんどない時代に、数少ない楽しみとして、2ヶ月に1度屋房神社で寄り合いが行われていた。

 

*ほとんどの祭は庚神様と同じように、娯楽を目的としており、一通りの儀式を終わらせたあとには、飲み食いを主とする寄り合いが始まった。

*共同墓地のとなりには「お大師様」といって弘法太師が祀られている。はっきりした日時は決められていないが、春になると、各地から参拝者が訪れることになっている。

 

(その他)

一里松 = 太閤豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った時に、目印としたもの。大きな松が立っていたらしいが、圃場整備の際に、倒されて今は見ることができない。

 

〈1日の行動記録〉

 電話をしておいた諸岡さんは教師をしておられた方で、あまり、土地のことには詳しくなかったので、何人かの古老を紹介してもらった。まず諸岡さんと高野でも最も年配の中山さん宅を訪ねた。しこ名の意味が理解してもらえず、役場にある区画図などをみせてもらった。その90歳の古老の中山さんは、はやくに農業をやめておられ、あまりしこ名等を覚えておられなかったので、より長く農業を続けておられた中山武治さん宅を訪ねた。武治さんはこのあたりの土地に精通しておられ、たくさんのしこ名を教えてもらった。最後に、公民館に立ち寄り、祭りや慣行のことを聞いた。

 最後まで案内していただいた諸岡さんには大変お世話になり、非常に感謝している。



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