佐賀県唐津市鎮西町塩鶴

 

1LA97060 大園一磨

1LA97090 大村大機

1LA97059 大串啓介

 

−田畑のしこ名−

原口

村田

八反田

しこ名については話を伺った農家の岩崎さん(65)によると、塩鶴あたりではあざ名と呼ばれており、3つに大きく分かれているということだった。由来についてはご存知でなかった。

 

−屋号・古道・小路−

 いずれも特別に名前は付けていないようだった。この地区には庄屋がいなかったのが屋号がない理由だと言われた。

 

−山の呼び名−

 この地区には山という山はなかったが、塩鶴溜のそばに果樹栽培が行われている小高丘があり、そこに熊野皇神社が祀られていたため、その丘が「権現様」と呼ばれているということだった。

 

−水の理由−

 もともと塩鶴には現在の県道の下に川が流れていた。また、溜池は附近に塩鶴溜、横竹溜と2つあるうち、横竹溜は塩鶴には全く関係がなく、ここの水利用はその川と塩鶴溜によって支えられてきた。しかし、昔は日照りのために溜池がかれたり、川が狭いために多量の水は抑えきれず、洪水することもしばしばあったようである。整備がなされたのは昭和のことで、ここ1015年で完成したということだ。また、整備がなされる以前には隣接する赤木の住民たちが川の水をせき止めて自分たちの田にだけ水を引こうとしたこともあり、その水をめぐって対立したことがあっという。対立といっても実際に住民同士が攻撃し合うというものではなく、話し合いによって全て塩鶴から村田・八反田、原口・八反田の境界線として流れ、呼子の方に続いている。小高いところにはポンプから機械的に吸い上げられ、果樹園などに水が配給されている。

 

−祭り−

 この近辺では近所づきあいが密接であり、祭りといえば塩鶴だけで行われるようだ。4月、10月には毎年それぞれが料理、酒を持ち寄って豊作を祈ったり、収穫を祝ったりする「おこもり」が行われる。塩鶴以外とのつながりはそんなにないようだ。このおこもりは昔はよく行われていたものの、終戦後減ったということだった。

 また、塩鶴には長谷川、岩崎の姓が多いが、これはこの地区に昔から住んでいるものの姓だという話を聞いた。特に長谷川というのは「権現様」に祀られている対馬の神の子孫をあらわすそうである。

 

−村の将来−

 塩鶴においても農家の減少は目に見えており、そこからくる農家の人たちの不安は大きいようである。かつて50戸あった農家はここ1015年で3分の1以下になってしまい、その156軒も兼業農家を含んでいる。住宅化が進む中、かつて果樹栽培が盛んであった場所も今や荒れ山となってしまい、農家減に伴って管理能力も及ばなくなっていることが見て取れた。しかし、部分的には昔ながらの農業も残っており、近くの打上地区では果樹栽培は昔のまま行われている。後継者不足について悩みが深いというのもほかの農業地区の例外ではなく、「最近の若者はなかなか農業をしようとしないし、かといって強要することなどできない。今農業を行っているのも後継者が多いし、このまま農業は衰え、外国からの安い輸入物に頼るようになるのではないか。」と岩崎さんももらしておられた。また、岩崎さんは「農業だけをやっているうちは自給自足に生きてこられたけれど、今の日本では誰もが同じ様な生活を望んでいる。テレビや冷蔵庫などの便利なものは誰もがほしがり、こんな田舎でも人々は都会と同じものを持ち、同じ水準の生活をしたがる。だから農業だけではやっていくことができず、農業から離れたり、別に仕事を持つようになった。」と語られ、誰もが同じ生活を求める世の中に疑問を投げかけておられた。買い物をいったいどこまで行ってするんだろうと不便に思う私たちに、呼子までは車で5分くらいだし、近くには農協の販売店もあり、十分に用は足りているとおっしゃった。ごみごみしてくるよりもこのまま農業を続けていきたいという都会化に対する農業のやりづらさを感じた。

 

−調査の行動記録−

 21日は先日に1200頃伺うと約束していたが、10時半頃についてしまったため、あまり早く訪問するのも失礼だと思い、しばらく時間を潰した。11時半になって電話したところ区長の竹下さんは留守だったので、1200には戻られるのだろうと信じて付近を散策した。トイレを探そうとしているうちに、赤木分校を見つけたのでどこにしばらく居座った。ボロボロのサッカーボールが落ちていたため、少しサッカーをした。分校というと、最近では廃校になるところも多いが、校舎などは綺麗なものであり、最近新設したかのような体育館もあり、この付近でそんなに児童減少が問題ではないようだと思った。12時を過ぎてから区長さんの家を訪ねると、帰ってきておられ、農業について詳しいという岩崎さんの家に案内してもらったが、突然の訪問のもかかわらず岩崎さんはいろいろ教えてくださった。1時間半ほど付き合っていただき、最後の方では逆に「最近の若い人は今の世の中をどう考えているのか」といわれ、成長期に育ってきた親の世代と、いろいろ整い、生まれてきたときにはいろんなものが身近なところに当たり前のように存在した私たちとの世代とのギャップなどについて話を広げた。「いろいろ便利なものを使い、発展させていくのはいいのだが、それらのものをただご楽に利用するのではなく、自分のために有効に使っていく必要があるのではないか」という岩崎さんの話には考えさせられた。調査を終わり、バスが来る時間までかなりの時間があったので、呼子まで行くことにした。結構距離があったので、ヒッチハイクを試みたところ、しばらく歩いたところで一台の256歳に見える男性が乗った車が止まってくれ、状況を説明すると「じゃあうちに来れば」と言われ、家に連れて行って下さり、ゆっくりさせてくれた。バスが来る時間になると、バスが来るところまで送ってくださって、「またきた時には電話して」と名刺を渡された。まさか見知らぬ土地でこんなに優しくしてもらえるとは思っていなかったので、今までに経験したことのない喜びを感じた。



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