1LT97126平川美樹 1LT97139堀江武士 調査地区 佐賀県鎮西町麦原周辺 調査日 平成9年12月21日 話を伺った人 山口光男さん(80歳 大正6年生) しこ名一覧 田畑 小字先部のうちに ササノ(笹野)マタテ(馬立) サガリヤマ(下山) パンノジヤマ(漢字不明) ボンギノモト(漢字不明) フウケイヤマ(風景山) 小字麦原のうちに ショウジ(シュウジ;漢字不明) 屋号 小字先部のうちに サキタ(先下) カキノキ(柿の木) ウド(漢字不明) バチミチ(バチミチ:漢字不明) マゴヤシキ(馬子屋敷) ミッチダ(道田?道下?:詳細は不明 小字麦原のうちに カミコウジ(上小路) シモコウジ(下小路) ネズミカベ(鼠壁) しこ名一覧の続き 組 ナカオグミ(中尾組) シモグミ(下組) ムカエグミ(向組) タムカエグミ(田向組) 橋 ソデトキバシ(袖解橋) その他 小字先部のうちに サナダ(真田) サンゲンヤ(三軒家) フウリン(風林) 小字麦原のうちに ツジノドウ(辻の堂) 『真田』 戦国時代信濃からでて武田信玄の部将として活躍、赤備えと呼ばれる紅蓮の甲冑を纏った鬼神の如き用兵で、かの関ヶ原の合戦で西軍中唯一家康の陣に奇襲、彼の軍を一時場退かせたと云う武将、真田幸村の叔父の墓が祭ってある.現在でも年に一度、お参りをする人が居る。 『柿の木』(古川辰喜さん宅) この家には、昔、大きな柿の木があった。 『三軒家』(樋口光政さん、前田敏信さん、樋口強さん宅の総称) 昔この辺りにはこの3軒しか家がなかったらしい。最近は全国に拡がる過疎の波にもかかわらず家が増えている。 『鼠壁』(打越直樹さん宅) この家は昔から資産家で、その象徴として家の土壁が鼠色に塗装していた(塗装することで富の象徴とした)ことから、その呼称で呼ばれるようになったらしい。 『馬子屋敷』(古川義美さん宅) 馬子がここで生活をしていたらしい。 『馬立』 昔、川の下流から龍が上ってきた。それを見つけた村人が驚いて馬でそのことを村へ伝えに行こうと急いで馬を走らせた。しかし、馬は疲れ果てて、村に着く前に、先部のはずれ(現在の馬立)で、後ろ足で立ち上がったままで死んだという伝説に基づいて、現在のこの地名がつけられた。 『袖解橋』 この橋で滑ったものは、自分の袖の一部をその橋に置いていかなければならないらしい。そうしないと、不吉なことが起こるこという伝説がある。現在はその原形をほぼ留めていないということで確認は出来なかった。 『パンノジヤマ』 昔から村の共同墓地として使用されてきた山。現在は、そう多く使用はされていないとのことだった。 かどな* 先部 ——山口 *広島からやってきた 麦原 酒井 尾郷さん(佐賀では大変珍しいらしい。) *用水路・道路など 用水源 小字先部のうちにサガリヤマガワ(下山川)、ソダトキガワ(袖解川) 『下山川』『袖解川』 この地域の主な用水源。下流で一つとなりヨノド湾へ流れ込む。袖解橋もこの川にかかっている。 古道* 小字麦原のうちに・コウシンドウンミチ(庚申堂ん道) ウエマツ(上松) 『庚申堂ん道』 庚申堂という祠の前を通る。現在の波戸岬線が通る以前の昔は村の主要な道路の一つであったので、通学路として利用されたらしい。 *草きり揚* 昔は近くの山に牛耕用の牛の飼料とするための草がある村の共有の草を刈る場所があったらしいが、牛耕の滅退とともに便われなくなり、現在は薮と成り果てた。 *村の産業* 昔は蜜柑農家を中心とした農業と、沿岸漁業による、半農半漁体制であったらしいが、今は兼業農家が増え、蜜柑農業が全体的な村の産業としての中心となっており、漁業は減退の傾向にあるらしいが、いまだに海士がいるということには驚いた。 行動記録* はじめは道が分からなくて、工場で道をたずねた。道が細かくてさっぱりであったが、親切な道案内のおかげでとりあえず無事に到着することが出来た。地図が古かったらしく実際の道とは大きく違うところもあった。着いたところでいきなり牛小屋を発見して初めて見る本物の牛に驚いた(平川談)。佐貿弁がさっぱり分からずまるで異国の地にやってきたような不思議な気分に驚いたが、ただ田舎なだけであった(平川談)。ちなみに堀江は、ネイティブとして通訳をやった。話を聞くために酒井さんの家に伺ったが、留守だったのでいろいろ紹介してもらったがどこも留守で、大変困ったが、郷土史を研究している元新聞記者の山口さんにお会いできたのは良かった。彼がつれていってくれた袈裟丸さんのお宅ではおみやげとして袋いっぱいの蜜柑をいただいた。結局、お話を伺ったのは、昼食 を買ったお店『山口商店』のご主人の山口光男さんであった。そこでもまた蜜柑をいただき、参考になるお話もようやく聞くことができて、更にジョージアまでいただいてとてもうれしい想いをした。 お話しを伺った際に、ご主人だけではなくほかの家族のかたまで喜んで協力してくださった事には佐賀の心意気を感じた。最後に一日佐賀を歩いてみて、僕らの普段の生括にはないような光景やあちらでしか触れられないような事柄もたくさんあってそれらにじかに接する機会を持てたことは、我々にとって大きな収穫であったと思う。また機会があれば参加したいと思う次第である。 |