佐賀県東松浦郡鎮西町上石室・下石室

 

1LA97006 芦刈知子

1LA97103 小園晴美

1LA97118 坂井優子

 

・村の名前:鎮西町上石室地区

話者:松本守男さん(1923年生まれ)

田畑

上石室地区に

ハギノ

ハゼンタ・・・ハゼの木があったため。

タカノス

ニシゴウ

ニシノウエ・・・ニシゴウ地区の上に位置するため。

オンタ(鬼田)

ムラダニ(村谷)

ハギノダニ・・・ツツミとも言うらしい。

マエダ・・・石室大権現の前に位置するため。

城の元付近

ウエノハル

下石室付近

バンバ・・・秀吉が来た時に、馬を調教したところ。

キリノキダニ

クダリミチ

太閤道路・・・昔、石室を縦断する太閤道路があった。

      秀吉がかごにゆられて10回とおった。

水路

・ウワバ総合開発によって水が供給。

・松浦川(唐津)の水を後川内(ウシロガワチ)ダムから引いている。

・後川内ダムから、打上ダムにも水が入っている。

・上石室地区は、潟川・野元川・鬼木川からの水を利用。

・国道47号線が分水嶺になっている。

 

(1994年の干魃について)

・松浦川の後川内ダムの水を使っていた。

・ウワバ総合開発のおかげで干魃をまぬがれたが、1反につき4000円を支払った。

・もし30年前だったら、どうしようもなかった。

共有林

・村の共有の山林は昔は存在していたが、今は個人に分けてしまったのでもうない。

・今はジュウガホウの近くに、青年の共有林がある。

その他

11月の第2土曜日に石室猪、子綱練りによって作られた、4tもある綱を使っての綱引き大会がある。

 

上石室地区と下石室地区で勝敗がきそわれて、

上石室地区が勝てば豊作

下石室地区が勝てば大漁

農業

麦はつくらない。

二期作はしない。

地名

秀吉は城を作る際に、その候補地として、2つの地区をあげていた。そして城が造られた方の地名が現在の名護屋であり、城が造られなかった方が現在「城の元」と呼ばれている。

将来

将来、田んぼは減っていくだろう。

政府による減反政策のため。

 

・村の名前:鎮西町下石室地区

話者:松本重幸さん(区長) 1941年生まれ、56

   松本幹雄さん    1935年生まれ、62

地名以外のことに関しては、上石室地区と同じため省略します。また、この地区では、しこ名=屋号として使われているため、屋号として単独で存在するものはないそうです。

田畑

下石室地区に

ツツミハル      ヘントウ

キンノキ       ハゼヤマ

チリヤキ       ハギノ

マルオ

アカハゲ

ヘゴ

コクボ

アブラヤ

マツオ

ウシロヤマ

ナガサコ

ヒヤキダ

 

1日の行動記録〉

・下石室地区に関しては、事前に区長さんのほうへアポをとっており、承諾済みだったが、上石室地区に関しては、高齢のため会って話をすることができないということだったのでアポなしで調査することにした。

・石室地区でバスを降りたものの、地図で現在位置を確認するのに時間がかかった。

・近くの民家の庭先でおばあさん(松本みよこさん)が作業をしておられたので、現在位置をお聞きして、町について詳しい方を尋ねたところ、ご主人の松本守男さんを紹介していただき、家の中でお話を聞くことができた。

・大変親切に詳しく教えていただいたので助かった。2時間ほどおじゃました後、1300ぐらいに出た。

・下石室地区に向かったが、約束の時間までには、まだ時間があったので、石室分校を少し見た。その後、守男さんが紹介してくれた松本酒店の方へ向かったが、よく分からないということなので、公民館へ向かった。

・石室公民館にて、区長さんの松本重幸さんと、議員の松本幹雄さんにお話を聞くことができた。公民館の工事をしておられたので、おじゃましてしまったのだが、快くお話してくれた。1420ごろに出た。

・それから1625までバス停で待機した。



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