【東松浦郡相知町湯屋】
歴史と異文化理解A 1LA97264守 紘子、1LA97278山田桜子
1.しこ名 〜 一覧 〜
地区の名 湯屋 ・ナカハラ(中原) ・ショウヤヤマ(庄屋山) ・ヨシノセ ・ユノガシラ(湯頭) ・カシガワ(加志川) ・シンデン(新田) ・ホバサコダニ ・カンノセ ・ホンダニ(本谷) ・カシゴ ニシンタニ(西谷) ・ユノカミテンマングウ(湯上天満宮) ナカンタニ(中谷) ・ユノシモテンマングウ(湯下天満宮) ヒガシンタニ(東谷) ・ドウノマエ アツマンタニ(集谷) ・ウッポガシ ・ユヤンダニ(湯屋谷) ・ゲンゾウコバ ・オヤステコステ
屋号 ・ヤクテン(薬店):昔、薬屋をしていたから。今は普通の家。 ・テランモト(寺元):お寺の近くだから。 ・デミセ(出店):店を出していたからと、関(イデ)のそばだからと、2つの説がある。
焼き畑、キイノ ・やっていなかった
小路 ・ない。小さな地区だから。
1´.しこ名 〜 小字別 〜 (1)田畑 小字中原の中に ナカバル(中原) (2)川 小字中原の中に ヨシノセ 小字加志川の中に カシガワ(加志川) (3)谷 小字木谷の中に ホバサコダニ ホンダニ(本谷) ニシンタニ(西谷) ↓ ナカンタニ(中谷) ↓ ヒガシンタニ(東谷)↓ アツマンタニ(集谷)← ※集まっているから 小字湯屋谷の中に ユヤンダニ(湯屋谷) 小字加志川の中に オヤステコステ (4)山 小字湯屋の中に ショウヤヤマ(庄屋山) (5)道 小字中原の中に シンデン(新田) カンノセ カシゴ (6)神社 小字加志川の中に ユノカミテンマングウ(湯上天満宮) ユノシモテンマングウ(湯下天満宮) (7)その他 小字中原の中に ドウノマエ ウッポガシ 小字本谷の中に ゲンゾウコゲ
2.村の水について
▲3年前の大旱魃のとき、どのようして水をまかなったか 湯屋地区は川のそばにありながら、下流に位置するため、水がなかなかまわってこず、昔は水の確保がとても大変だった。S60年頃からモデル事業を始め、国から補助金をもらい、湯屋の人々も費用の6%を負担し、3面コンクリートなどに改善された。様々な事情から、完全に工事が終わっているわけではないのだが、このお陰で3年前は水には困らなかった。もし、旱魃が30年前だったら、大変なことになっていただろう。節水はもちろん、藻上げを他の地区のところまでやることになったと思われる。
3.村の田について ・場所による収穫の違いはあまりなかった。 <戦前、化学肥料が入る前> ・米は反当8〜9俵 ・良い田と悪い田の差はあまりなし ・肥料は山からとってきた草 ↓ <戦後> あまり変化なし(肥料は化学肥料へ)
・入り会い山はなかった(共同で借りたりはしていたが、正式な入り会い山ではなかった)。
・「○○ノウテ(縄手)」という道 →聞いたことがない。いわゆる山道ならある。牛馬で材木を運んでいた。人だけが通れるさらに細い道もある。
4.村の神について ・神社は湯上天満宮と湯下天満宮がある。 ・お祭りしている神はウブスナ(土産〔産土ヵ:入力者注〕)の神。 ・お祭り (1)大祭り(12月):新なめ祭のようなもの。収穫した米をすべて同じかまでたく。3組ずつ交代で担当する。 (2)さなぼり:田植えのときに行う。 (3)たきとごもり:豊作を願う。 (4)彼岸ごもり:春・秋の両彼岸に行う。 *(3)(4)は今はない。また、これらの祭りは今年湯上天満宮と湯下天満宮が交互にする。
5.村の姿の変わり方、今後の日本農業の展望など 湯屋はもともと小さな地区である。そのため、大きな地区に比べると、いつも損をしていた。湯屋の産物といえば、米だけであるが、その農業も年々する者が減り、今では専業農家は1軒、その家も後を継ぐ者がいないそうだ。しかし、湯屋の人々は農業にはこだわらず、子供達には自分に合った将来を見つけてほしいと願っている。また、湯屋の人々は、湯屋にはこれといった特別なものもなく、様々な問題を抱えている所ではあるが、それでも湯屋を愛し、なんとかしてもっと良い所にしようと努力されていた。
▲お話をしてくださった方々の氏名と生年 溝上至徳さん 大正15年生(71才) 溝上鋭輝さん 昭和6年生(66才) 小山幸之助さん 大正8年生(77才) 山内大三郎さん 大正9年生(77才)
*一日の行動 10:30 湯屋到着 (昼食) 11:00 山内さん宅に訪問 12:00 田の手入れをしていた男の人に話をうかがう 12:30 小山さん宅に訪問 (溝上至徳さん、鋭輝さんが集まってくださった) 3:30 バスに乗る
*感想 湯屋はとても自然がきれいな所でした。目の前に厳木川が流れ、すぐ近くに山が立っていました。初めて湯屋のことを調べたとき、あまりに小さな地区で驚きました。小さな地区だからということで虐げられてきたことも多く、今でも様々な問題を抱えているそうです。しかし、人々は決して湯屋を見捨てることなく、湯屋を愛し、少しでも良い所にしようとがんばっていました。ほんの数時間、話をしただけでしたが、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。貴重な体験をしたと思います。 |