【東松浦郡相知町田頭】
1LA97268安本和美、1LA97280山野礼子
市丸国男さん 70才
田頭 しこ名一覧 タタラ シンデン(新田) ツジバタケ(辻畑) サンゲン(三軒) セトヤシキ イマデガワ(イマデ川)
ガッコウバシ(学校橋)、ムタバシ(牟田橋) イデモトバシ(井手元橋) ヤシキミチ(屋敷道) ヒラノカイドウ(平野街道) ヤシキアト フルミチ(古道)、フルアン
屋号:山口(小字の山口より)・小松・黒木・市丸・牧原・吉松(長部田からきた)
しこな数 17
田畑 小字 前田のうちに シンデン(新田) 小字 越道(コエド)のうちに タタラ 小字 辻のうちに ツジバタケ(辻畑) 小字 牧内のうちに サンゲン(三軒) 小字 田崎のうちに セトヤシキ
川 小字 谷口のうちに イマデ川
谷 (谷は“小字の名+谷”で呼ぶ) 小字 徳若のうちに 徳若谷 小字 湯頭のうちに 湯頭谷 小字 山口のうちに 山口谷
橋 小字 岸ノ下のうちに ガッコウバシ(学校橋) 小字 谷口のうちに イデモトバシ(井手元橋) 小字 前田のうちに ムタバシ(牟田橋)
道 小字 湯頭のうちに ヤシキミチ(屋敷道) 小字 谷口のうちに ヒラノカイドウ(平野街道) となり村を通って 小字 前田・岸ノ下のうちに フルミチ(古道)
その他 小字山口のうちに ヤシキアト 小字岸ノ下のうちに フルアン
田頭 使用している用水の名前 ・名前はとくについていない。 用水源 ・厳木川 共有しているほかの村 ・町切・湯屋・千束など、近辺の村々 昔の配水の慣行・約束事 ・とくになし。 ・ただし、下流の村へも水が行き届くように、下流の村の人は上流の村に頼み、水がもれないようにしていた。 昔の水の争いの有無 ・とくになし。水は豊富であった。
田頭は、水も肥料となる草も豊富であったので、「よい田である」という意味でその名がついた。 しかし、となりの長部田には肥料の草が少なかったため、田頭にわけてもらっていた。山の方の草をとる約束であったが、田頭の草を無断でとっていったりして、田頭の人の反感を買ったりもした。
水路は江戸時代にできた。しこ名はとくにない。 その前は谷から直接とっていた。
土地が肥えていたので裏作ができた(麦)。 御料米を出したこともある。 草を肥料とするため、野焼きをしていた。野焼きをすると、肥料になるよい草が育つ。
江戸時代の一揆 一揆をおこそうとしたこともあったが、楠の原という人が、村民をいさめてくれた。そして、自分は割腹自殺をとげた。
祭祀 ●オコモリ…田の豊作を願って神社に昼夜こもること。谷口にあるハヤマ神社にこもる。 ●あちこちの神をまとめて田頭神社にまとめた(田頭神社:涼しくて、昔ながらの神社だった。四方ふきぬけで、ほこりっぽく、こけが生えていた。合戦の絵や日露戦争の碑があった) 〔図略:原本は佐賀県立図書館所蔵〕 ・弁天嶽→弁天様をまつっていた。 ・田崎の観音様→ウラマチのカンネさん(祈祷師)という人が守っていた。唐津の殿様のおかかえ祈祷師。 ・大辰→天神様をまつっていた。 ・村の上の方→サクレ神社 ・山口谷→山の神。田頭神社にまとめたが、御神体は公民館(木造)にある。 公民館…棚の上に2体の御神体があった。小ぢんまりしたかんじのよい公民館だった。 ●盆くどき→盆おどりのうた。村の伝説(昔のいろいろ)の内容をうたっている。
しこ名「タタラ」の由来 江戸時代にヒデシマという人がクロキという人を打ち首にした話から。 昔、キウラギ町のヒラノという所にヒデシマさんという人がいた。ヒデシマは、田頭が土地が肥えているのを理由に天領にしようとした。そこへ、唐津の殿様から土地を調べるように命じられたクロキという人がやってきた。クロキは、田頭は土地が肥えているので天領にしない方がいいと殿様に申し上げた。意見の分かれたヒデシマとクロキは争いとなり、それ以来、田頭の中の一画はタタラと呼ばれ、ヒデシマはたたられているという。 (そのお墓を見に行ってきました。ヒデシマの墓は家の敷地内にありました)
1日の行動 10:30 市丸さん宅へお邪魔した。 1:00 神社へ御神体を見に行った。 (昼食) 2:30 公民館へ御神体を見に行った。 3:30 バスに乗る。
感想…久しぶりに田舎の風景をゆっくり眺めました。空気もきれいで、うれしかったです。 市丸さんもとてもよい方で、色々詳しく教えてくださいました。田頭のような一農村にもちゃんと歴史があって語り継がれていることには、本当に驚きました。 |