【東松浦郡相知町千束】
相知町千束地区現地調査レポート 6月29日(日)
1LA97274 山下 つくみ
1LA97260 宮地 由紀子
話者:平田 満さん(大正7年4月生まれ)
村の名前
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しこ名の一覧
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千束
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田畑
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小字
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@
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太郎丸
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カワルダ(川原田)
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A
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太郎丸
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マエダ(前田)
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B
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太郎丸
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ミョウケンダ(妙見田)
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C
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太郎丸
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ハルマキ(春蒔)
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D
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船原
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スガンダ
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E
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花降
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ハタケダ(畠田)
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F
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花降
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ゴジンダ(御陣田)
昔、お城が建てられようとした場所
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G
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船原
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フナバル
ここの田の持ち主が「小字ばそのまま田んぼん名前にしとったいね」と譲らなかった。
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H
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船原
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マカド(魔角)
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I
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船原
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カワクボ
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J
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本川内
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コウノス
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K
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本川内
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イジリ
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(ア)用水について
千束
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用水の名
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不明
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用水源
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千束だめ(松浦川、見返りの滝、千束川)
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共有している
他の村
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なし。千束地区のみのもの。
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配水の慣行
約束事
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特になし。
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昔の水争い
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この用水は千束地区だけのものであったので、他の村との激しい水争いはなかったが、近所同士の小競り合いが時々あった。
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その他
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千束地区は近くに観光名所ともなっている滝もあるし、また、松浦川が近くを通っていることもあり、昔から水に困るということはあまりなかった。特に昭和33年に千束地区のものとして千束ため池ができてからは、平成6年の大かんばつの時でも、特別の水対策をとることもなく、普通に水の使用ができていたらしい。
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(イ)しゅうじについて
千束―太郎丸、船原、平尾、花降、本川内
この5つの小字から成る。しかし、これら5つの小字は地元の人たちの間では、ほとんど使われていない。
千束―上千束、中千束、下千束 から成る。
この3つの地区はそれぞれ「お宮さん」と呼ばれる守り神のほこらを中心として、いろんな集まりを行っている。
下千束
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ミョウケンさん
(妙見)
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水天宮様をまつってある。昔はほこらをとりまくように木が生えていて、ミョウケン森と呼ばれていたが、このほこらは川のすぐそばにあったため、河川整備の際に森はすっかりなくなり、ほこら自体も少し移動させられたらしい。昔、昭和33年にため池が完成する以前は、雨の降らない日が続いた時、この水天宮様を荒縄で巻いて、そばの川にさしていたといわれている。
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中千束
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不明
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ここには薬師如来像がまつってある。
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上千束
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マカドさん
(魔角)
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昔、マカドさんのほこらのそばに巨大な松の木があり、これはマカドの松と呼ばれていたけれども、河川改修の際に根を切ってしまったところ腐って倒れてしまい、今はあとかたもない。このほこらでは弘法大師をまつってある。
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※上千束の魔角では魔の風が吹いていて、これを受けた人は皆倒れていたので、そこに魔除けの地蔵と弘法大師とをまつって、この厄を払ったといわれる。マカドの松は数百年間ほど、ずっと立っていたといわれている。大正11年に倒れた。
(ウ)祭祀、年中行事について
先のレポートでは、上・中・下ごとのお宮さんについて述べたが、ここでは千束全体のお宮である“千束神社”と祭りについて報告します。
千束神社
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春祭り:神社の境内にござを敷いて、だいたい1家庭から2人ぐらいが参加して行われる。昔は、それぞれで重箱に料理を詰めて持ち寄っていたが、今は仕出し弁当の料理になってしまった。他に酒も用意される。
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秋祭り:だいたいは彼岸の中日に行われるが、現在では千束もお百姓さん(専業農家)ばかりではなく会社勤めの人などが多く、平日は人が集まりにくいので、彼岸の中日に近い休日に行うこともある。やり方は春祭りと同じ。
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・その他、今は行われていない行事
田の神さん
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3月の初め頃行われていた。
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七夕
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7月7日。さといもの葉に乗っている露で墨をすり、それで自分の願い事を書きしるしていた。
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薮入り
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奉公人たちが自分の家族のもとへ帰省することを指していた。
1月16日〜、7月16日〜の2回。
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・その他、今も続けられている行事
鬼火たき
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またの名を「ほんげんきょう」とも言う。1月7日に行われ、正月に使ったしめ縄や門松を燃やす行事。千束では自宅で門松を手作りする家庭もあり、市販されているもののように豪勢なものではなく、山からとってきた竹をななめに切って組み合わせるだけの、いたってシンプルな門松も見られる。
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もぐら打ち
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1月14〜15日に行われる。子供たちが竹の先に藁をつけたものを持って、千束の家々を回って歩く。訪問した家の庭をその竹で打つことで、もぐらを追いだしている。子供たちは報酬として回った家の人からお菓子などを貰う。すべて終了したら、使用した竹は2つに折って柿の木にぶら下げておく。
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おすわさん参り
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浜玉町にあるおすわさんにお参りに行き、そこから砂を頂いて来る。そしてその砂を田んぼに撒いておくと、マムシに喰われないと言われている。
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盆踊り
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くどきと呼ばれる歌い文句に合わせて踊る。千束神社の境内か若しくは公民館前の広場で行われる。
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お日待ち
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10月中旬頃。1家庭から2人ずつぐらいが集まって、ごちそうを食べたり話し合いをしたりする。以前は朝から1日中ずっと行われていた。会社勤めの人が増えて1日中行うのは無理ではないかという意見が出始めて、一時は廃止されようとしたが、伝統を残したいという古老たちの意見が尊重され、夜のみであるが実施され続けることになった。
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先祖祭り
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千束に多い名字
松本(20軒以上)
井手(7軒くらい)
毛利(6軒くらい)
千束内で同名字の家は先祖も同じであるらしく、千束内の同名字の家庭が集まって1年に1度行われる。この時は遠地に行ってしまった人たちも戻って来る。
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(エ)千束の入り会い山について
小字でいうと本川内はほとんど山にあたっている。
・昔の入り会い山の利用法
・田の肥料にするための草をとっていた。
・家の屋根(かやぶき)を作るための小枝や草をとっていた。かやぶきは大体30年ほどもっていた。
1年に1度、山焼きをしていた。
↓
焼き畑にするためではなく、山焼きをすることでいい芽が出るようにしていた。
・現在の入り会い山の様子
昔の広い入り会い山
↓
千束川に提を築くためにお金が必要だったので、少しずつ区切って村の人たちに売ってしまった。しかし、いざという時のために2〜3町ほど残してある。そこにはほんの少し杉が生えている。
くぬぎ、栗の木が多く生えているようである。
↓ なぜか?
人間の手で植えたのではなく、くぬぎや栗の実をエサにするために動物が運ぶ途中で落としたりしたものから成長していっている。くぬぎの木は椎茸の原木として活用することができるため、お百姓さんたちの家計の助けにもなっている。
(オ)田んぼとその経営について
昭和7年 区画整備の実施
↓
道は広く整備されたが田んぼにはあまり手は加えられない。
田んぼの整備は個人や近くの田の人々の間で行われた。
良田〜水路沿いに多かった。
悪田〜山の谷間や上流の方はあまり米がとれなかった。
高見台〜千束の一部であった。今では住宅が建ち並んでおり、一応大字は千束となってはいるが、独立した地区として見なされている。
悪田であった。(地下から冷水が湧き出ており、米の成長に適した温度まで達しなかった)
・肥料のこと
昔―入り会い山から取ってきた草
牛や馬のフン
現在―化学肥料
牛や馬のフンとのこくずを混ぜ合わせたもの
(カ)家の神さま―家によって違う
・天照大明神
・天満宮(菅原道真)
・酒の神
(キ)千束川について
千束川…一級河川である。(つまり水がきれいであるということ)
このきれいな水を活かして昔からいろんな物が作られていた。
・こうじ屋(酒)
・酢屋
・紺屋(染物)