【東松浦郡相知町押川】

東松浦郡相知町押川 現地調査レポート

 

1LA97136 白仁田 正裕

1LA97154 田中 丈晴

 

話者:田中 良一さん(昭和2年生)

 

押川

<しこ名一覧>

オバサコ、ミスミダ、マエンコバ、カミヤマダ、

カメヤマダ、ハカンシタンヤマ、ハカノシタンタニ、

コウノキ、ウランタニ、カモンタニ、

ツバキタニ、マツオンタニ、スミノシタハシ、マエノハシ

田畑

オバサコ、ミスミダ、マエンコバ、

ナエシロダ、フケタ、カメヤマダ

ハカノシタンタニ、ウランタニ、カモンタニ、

ツバキタニ、マツオンタニ

ハカンシタンヤマ

スミノシタハシ、マエノハシ

目印と

なるもの

じぞうさんの松(今はない)

・屋号は使われなかった。

・焼き畑は行われなかった。

*小字に使われていなかった。

押川

使用している用水の名前

用水源

共有いているほかの村

 

押川

なし

昔の配水の慣行・約束事

昔の水争いの有無

田から田に上から順に段々と水を入れていったが、段々になっていたので、個人的にとられるところもあった。

上から段々と田から田に水を入れていったので、下の方には水がこないこともあったが、それは仕方のないことであったので、個人的にとっていた人に対してぶつぶつと文句は言っていたが、直接争いなんかはなかった。

 川は大きな押川1つだけであった。

 また、ため池があったので水は豊富であり、そこの水門を倒した木で囲んで水を均衡に分けていた。あと、水は押川がめと言われるものに溜めて使っていた。

 平成6年の大旱魃時には、やはり水がなくて苦労したようである。

 また、それぞれ水は水中ポンプと言われるもので汲み上げていて、タンクというものでやっても無駄だったらしい。それから、新しくバーティカルポンプと言われるものを使ったみたいだが、それはかなり役に立ったようである。

 

○祭祀

 押川公民館の裏の方に神社があり、そこにはお地蔵さまがあり、聞くところによると、おすわさんとおじぞうさんとやまのかみさんをまつっているらしい。

 また、7月にはぎおんさん、10月にはおうちくんちが行われるらしい。

 

○目印となるものについて

 昔、押川にはじぞうさんの松と呼ばれる目印となる木が存在していて、その木は樹齢が100年以上も前のものであったが、平成6年の大旱魃の水不足によってとうとう枯れてしまい、切ってしまったそうである。実際我々はそのじぞうさんの松の切り株を見たが、自分自身の感想として、話に聞いて想像していたほどの太さはなかったと思うが、木の樹齢などはよく分からないので、100年以上昔のものであればそれくらいの太さかなと思った。ちなみにその切り株は名前の通り神社の石段の途中ぐらいにあり、松の種類としては赤松ということだ。

 

○一日の行動記録

 だいたい10時半頃目的地である押川に到着し、まず降ろされたところがよく分からなかったので、近くの人に押川がどこにあたるかを聞き、その方向に向かいながら自分達の位置の確認をした。まず最初に押川について持った印象は、山に囲まれた山あいの村であるということであった。

それから、自分のパートナーは佐賀出身の人で一応農家に詳しかったので、パートナーに従って調査をする家を決めていて、しばらくしてこの家にしようかという目星を付けかけていた所に、ちょうど田植えを終えて田んぼの周りの草刈りをしていた家のおじいさんに声をかけられたので、その方からしこ名を聞いてみることにした。その時間帯、おじいさんの家にはおばあさんと奥さんがいらっしゃったが、その方々も自分達が調査に来たことを伝えたらとても親切にしてくれて、ジュースを頂いた。その後おじいさんから話を聞き終わったのがちょうどお昼の12時ぐらいだったので、途中の公民館、神社前で昼食休憩をとって、その間におじいさんから聞いたじぞうさんの松の切り株やおじぞうさんなどを見たりした。そして1時頃になって再び調査を開始して、2軒ほど農家を回ってみたがあまり知らなかったり、外出中だったので、あまり成果を得ることが出来ず、他にはもう農家がなかったため調査を打ち切って、しばらくバスを待つことになった。

感想としては、パートナーのおかげやおじいさんたちの対応がとても親切だったので、うまく調査することが出来、とても良かった。

 

○古老から教えていただいたこと

 驚いたことに、押川は昔唐津焼の窯があったそうですが、今は儲からなかったため止めたようです。また、押川で作られた押川焼は今ではもうなくなりましたが、それが唐津焼のもととなったそうです。



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