【東松浦郡相知町大野】

 

歴史と異文化理解A

 

1.実地調査をした学生

班長 1LA97166弟子丸宣廣

副班長 1LA97262村田貴則

 

2.場所:相知町大野

 

3.日時:629日(日)

 

4.調べることができたしこ名一覧

  聞き取りした古老の方 成住杢一さん(昭和7年生まれ)

相知町

大野

田畑

小字下津留のうちに

ヒアケ(田)

小字中津留のうちに

ヒアシリ(畑)

ヨノウラ(畑)

小字上津留のうちに

ヒャクネ(畑)

小字半町のうちに

ナグルマ(名車)(畑)

小字倉方のうちに

ドバ(田?)

(もともと土場があったところから名付けられたらしい)

小字丸熊(柵ノ坪?)のうちに

ミサツカ(畑・山)

(古墳みたいなものが存在)

バンモト(田か畑?)

小字岸高のうちに

カミノソノ(田)

ほか

小字下田の木場のうちに

サダスケダニ(谷)

ショウジャトウゲ(峠)

ヤマイヌカマ(?)〔添付地図には(山)とあり、原本は佐賀県立図書館所蔵〕

 

5.水利

1.用水源

松浦川、大野川(松浦川の支流)

 

7つの用水池>

シタタメ

シンタメ

ゲタノコバ

ユウヒトウゲ

ナカツツミ

カシラ

カゲノキヅツミ

2.昔の水争いの有無

大野を昔からよく知っている人によれば、個人間の水争い(隣の田の水を自分の田に流す)はしばしばあったらしいが、大きな水争いはなかったらしい。

3.1994年の大旱魃による特別な対策

3年前の大旱魃の際、松浦川に近い平野部の方は大丈夫だったが、山間部の田畑は前述した7つの用水池が干上がったので水を得ることに苦労した。そこで数台の揚水ポンプを村で購入し、松浦川から水をひいたらしい。松浦川のおかげで、犠牲田を創る必要はなかったらしい。

 

6.入り会い山

  今回、入り会い山として聞くことができたのは、シモヤマとジムヤマであった。両方とも、今では個人個人で土地を分けたらしい。ジムヤマは、昔、防人がその山に陣を張ったことに由来するらしい。

 

7.祭祀について

  大野全体が丸熊神社の氏子になっている。祭は、春と秋、年に2回大祭があるらしい。

 

8.屋号

  今回はふとした偶然で屋号をきくことができた。

屋号

家の主の名

フロンタン

成住重光(区長)

ミヤシタ

江口勝彦

ニシ

江口 弘

成住杢一

タカウエ

小松久美

タカミ

吉原 健

 

9.一日の行動記録

629日、僕達の班のメンバー(2人)は時間通りに集合したので、とりわけあせる必要はなかった。ただ、地図が不十分であったことが少々問題だった。バスに乗り、約2時間後、大野駐在所前で降りた。まず、ここ大野駐在所でこの町をよく知っている人を聞こうとしたが、パトロール中で留守だった。そこで、最初に近くの家を訪れることにした。ちょうど家の前の畑で農作業をなさっていたおばあさんを見つけたので、しこ名のことをきいてみた。その方はしこ名をご存知なく、小字だけしか知っていなかったので、この大野について詳しい古老の方をご存知かどうかうかがってみた。幸運にもご存知だったので紹介してもらった。お礼を述べて、そこに行くことにした。

次に、紹介してもらった米倉徳美さんのところへうかがった。そこのお宅は農作業で忙しいところだったが、時間をさいてもらった。米倉徳美さん(大正5年生まれ)にしこ名のことについてうかがってみたところ、どうもしこ名と小字を同じものと思っているらしかったので、うまく説明が出来ずかなり困った。そこで、江戸時代から田や畑についてつけられたあだ名みたいなものを、ご存知かどうかうかがってみたところ、ご存知なかった。その場にもう1人、近所の米倉繁久さん(昭和17年生まれ)がおられたので、同じ質問をしたところ、しこ名についてはご存知なかった。しかし、大野の水利や1994年の大旱魃の際の水対策、寺の氏子や祭りなどについてはかなり詳しく教えてもらった。2人の方にお礼をして、次に区長である成住重光さんのところをうかがってみた。

区長もしこ名についてはご存知なく、土地台帳を見せてもらっても小字しか記載されていなかった。絶望感を感じ、あきらめかけていたところ、区長の奥さんが屋号を少々ご存知だったのでうかがってみた。すると、屋号について詳しい人を紹介してくれ、電話でアポをとってくれた。近くの家だったので、2人の方にお礼を述べて、その人の家へ行ってみることにした。

次に行ったお宅は成住杢一さん(昭和7年)のお宅で、幸運にもその方はしこ名を後世に残そうと考えていたらしく、趣味で少々しこ名を集めていらっしゃった。そこで、しこ名について尋ねてみると、10個ぐらいのしこ名を記憶されており、僕達も本当に助かった。しかし、少々残念なことに、あらかじめこの方にアポをしておけば、もう少し事前に調べてもらえた(といっても、この方は区長や生産組合長ではなかったので、アポの方法が分からなかったのだが)。屋号についても少々教えてもらえて、一応当初の目的は果たせたと思う。

2時間近く時間があまり、昼食をとって休憩した。3時半に駐在所前でバスに乗り、その日の実地調査を終えた。



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