【東松浦郡相知町西谷、向野】 東松浦郡相知町西谷、向野 現地調査レポート
1LA97026 石村 公一 1LA97172 戸 吉規
話者:山口 ユキエさん(大正7年7月生) 松尾 マツ代さん(大正9年3月生) 松尾 勇さん(昭和1年8月生) 馬場 武夫さん(大正6年9月生)
<西谷> 訪問者 ・山口ユキエさん(大正7年7月生) 山口さんは朝鮮帰りの80才。とても80才とは思えないほど若い。 山口さんの話によると、西谷の松本賢治郎宅、松尾浩二宅、平山駐在所、田代商店、小松美容、居石脩宅、山口宅は昔から中止場と呼ばれていたらしい。そして西谷すべてを“新田”と呼んでいた。
・松尾マツ代さん(大正9年3月生) 松尾さんの話によると、田んぼの水は平山川の水を使っているそうだ。 小路の名を聞いたが、この辺りは炭鉱町だったため特に小路などの名には注意が向かず、名はないと言われた。
・松尾勇さん(昭和1年8月生) 色々尋ねてみたが、情報は得られなかった。 松尾という名字が多いことに気づき、なぜ松尾が多いのか尋ねてみたが、分からないと言われた。
<向野> 訪問者 ・馬場武夫さん(大正6年9月生) 馬場さんの話によると、宮浦炭鉱をまだ掘っていた頃は、向野はすごく栄えていたらしい。向野の田んぼは宮浦炭鉱付近から湧水する水を使っている。昔は飲めなかったらしい。原因は炭鉱から金っ気のある土が混入し、とても飲めなかったそうだ。向野は昔、宮浦と呼ばれていた。炭鉱の影響によるものだ。平山川の土木工事をした際に、大量に出た土を向野の上方に運んだため、大雨の時は上方の民家ながら床下浸水するそうだ。馬場さんはずっとそれを嘆いておられた。馬場さん宅の周りにはすだちの木がたくさんあり、すだちを作っている家が多かった。
平山も向野の尾部田の一部で、尾部田がすべて主導権を持っているそうだ。 |