【東松浦郡相知町中山】 歴史と異文化理解A現地調査レポート
1LA97122相良裕徳 1LA97140末松哲哉
・ご協力いただいた方 緒方博見さん(S4生まれ 68歳) 小川軍一さん(T12生まれ 74歳) 市丸 勇さん(M44生まれ 86歳) (小川さんと市丸さんは、緒方さんのご紹介でお話をうかがうことできました)
T)中山地区のしこ名
U)村の水利 @)中山地区の用水について 供給源=厳木川(中山地区南部を流れている) A)共通して用水を使用していた村について 厳木川から取水していた村名 〔図略:原本は佐賀県立図書館所蔵〕 ・右岸:中山、横枕、山崎、久保 ・左岸:高取、相知、六坪、長部田 ☆ただし、右岸の山崎・久保、左岸の長部田は今では取水していない。 B)3年前の旱魃の時は… 中山地区をはじめ、厳木川から取水しているところは、豊富な水量のおかげでまったく影響を受けなかったそうです。 C)個人的にきいてみました Q前日(6/28(土))の台風はどうでしたか。なんでも松浦川水系(厳木川も含む)は水位が警戒域を超えて、避難する人もいたそうですが。 Aあっ、別になんともなかったですよ。風はけっこうすごかったけど、そんなに雨は降らなかった、うん。
V)村の範囲・耕地・共有地 @)範囲 北限:山中を横断する(東西方向)電線の北側 南限:厳木川 東限:弁天山から南へ連なる尾根 西限:西方の尾根 ☆詳しくは地図を…〔添付地図略〕 A)耕地 ・良田・悪田について どちらかというと、下鶴(厳木川の下流)の方が、上鶴(厳木川の上流)よりよく収穫できた。その理由は、昔は厳木川が洪水を起こして、上流から「黄土」と呼ばれる肥沃な土を配んできて、下鶴の方にたまったために、河川改修後でも下鶴の方が収穫高が多かった。 B)共有地 北の村境付近に、分散して3町歩程、緑樹組合が主体となって管理している。 (しかし、現在は個人の名義を貸している)
W)中山地区のこれから 実は今ある田も来年にはなくなってしまう。なぜなら、下鶴・上鶴のほぼ全ての田が買収されて、埋め立てられて宅地となってしまうからだ。だから、来年から農作業もできなくなってしまう…ということをおっしゃっていました。
(追加) U-Cとして ・水争いについて 水は豊富だったから、水争いはなかった。 X-@として ・氏子・氏神について 緒方さんは彦山(ひこさん)神社の氏子ということです。
<1日の行動記録> まず10時30分ごろに調査を行う中山に到着した。その後、到着時刻が思っていたよりもかなり早く、生産組合長さんとの約束をしていた時間(1時ごろ)までかなり時間があったので、彦山神社というところへ行き、調査に役立つものはないか探してみたが、特になかった。それから、約束の時間までまだかなりあったので、早めに昼食を済ませ、組合長にきかなければならないことを、もう一度最後の確認を行った。そして、ちょうど約束の時間になったので、組合長さんのところへ行った。ここで、組合長さんと、組合長さんが呼んでくれた古老の方2人の計3人の方から、しこ名のことなど、きかなければならないことを1時間半ぐらいかけてきいた。それから、バスが迎えに来る時間まで、レポートを書きやすくするために、古老の方達からきいた話を整理していた。それから、バスに乗って帰った。
<1日の行動に関する反省> 生産組合長さんとの約束の時間を昼過ぎにしておいたので、現地に到着してから約束の時間まで、少し時間をもてあましてしまった。今考えてみると、この時間で他の古老の方を探して話をきいておけば、さらによい調査を行うことができたかもしれないと思う。しかし、生産組合長さんに事前にアポをとっておいたおかげで、他の古老の方を呼んでいただいており、その方達から村のことに関してかなり詳しく話をきくことができたので、その点に関してはよかったと思う。 |