【東松浦郡相知町伊岐佐】

相知町伊岐佐下区・下中区 現地調査レポート

野辺 美信

岩永 由紀子

穴見 正明

 

話者:八並 一雄さん(昭和153月生、下区)

阿蘇 宏さん(昭和811月生、下区)

佐伯さん(下中区)

 

伊岐佐

@ 下区 (しこ名一覧)

田畑

小字森の木のうちに

下田のうちに

地蔵前のうちに

引地のうちに

塩木のうちに

弁方のうちに

山神のうちに

イデタ(井手田)

タケシタ(竹下)

マエダ(前田)

ハサゴ

シヨウギ…小字の由来である地名の元来の呼び方らしい

ベンプ…    〃     〃

ヤマガミ…   〃     〃

使用している用水の名前

用水源

共有している他の村

黒岩井堰

落合井堰

伊岐佐川

伊岐佐川

黒岩区が管轄

なし

昔の配水の慣行・約束事

昔の水争いの有無

譲り合いの精神がモットー

ダムができる前に小競り合い程度のことがあったが、生活に影響する大きさではなかった。

A 下中区 (しこ名一覧)

田畑

小字桃原のうちに

現野のうちに

モモラ…地名の元来の呼び方らしい

ウッツノ…  〃   〃

使用している用水の名前

用水源

共有している他の村

山神井堰

新井手井堰

柿の木井堰

中井出(現野)井堰

美六井堰

左伊岐佐川

(右)

 

左伊岐佐川

一部下区と共有

なし

なし

なし

上中区が管轄

昔の配水の慣行・約束事

昔の水争いの有無

部落内での“暗黙の了解”であり、外部には秘密

飲料水の配分等、深刻な問題とは縁がない

 

◎村の耕地          (昔)    (現在)

肥料              → 化学肥料

1反あたりの収穫量  4〜6俵 → 8〜9俵

〈苅敷について〉

 入会地の山などで刈った草を腐らせたり牛に踏ませたりしたものを、昔は化学肥料のかわりに使っていた。

 

◎村の道

 道幅がかなり広くなったが、基本的に位置はもとのままである。

 以前は道が狭く牛馬が通れなかったため、堆肥なども人が担いで運んでいた。

 

◎屋号について

@「○○○(住んでいる小字名)の〜さん」という呼び方をする。例)引地の佐伯さん

〈特定の地区に多い苗字〉

・桃原→田原さん ・現野→金獄さん ・地蔵→佐伯さん、筒井さん

・引地→     ・野中→田原さん、阿蘇さん

A本家と新家(=分家)で区別、「本家(新家)の〜さん」という呼び方をする。

(図アリ省略 入力者)

こういった家の配置の場合、「高い方の新家の〜さん」という場合もある。

 

◎村の行事・祭祀

 夏祈とう…7月の第1日曜日

公民館に神主を呼んで豊作・健康を祈願。

()の輪くぐり”を行う。

 豊作感謝祭…10月の第1日曜日

三光神社で相撲・剣道大会を開催し、神に奉納。

 

1994年(平成6年)の大旱魃について

 この地方は比較的、水不足に苦しんだということはなかったらしい。

 数年前に伊岐佐ダムが建設されたことで、大旱魃という規模には到ったことはないそうだ。

 しかし、1994年(平成6年)の水不足の時は、排水をポンプで汲み上げて田に水を引くなどして、やや対策が取られたということだった。

実際、自分たちが村を歩き回ってみても、あらゆる道沿いに水路が整備されていたり、井堰もたくさんつくられていたので、この地域は比較的水利に関しては整った装備がなされていると感じられた。

 

◎入会地について

 この地方にもやはり、村の入会地(村共有の山林)というものがあるらしい。

 昔はそこで刈った草をそのまま、若しくは刈敷にして、田の肥料にしていたらしい。それと、毎年野焼きも行われているらしい。

 場所については地図で示してある。

 

◎村のこれから

 ・伊岐佐村のほとんどの農家が農業以外の仕事を持っているそうで、ある農家は米作りが終わった冬だけ出稼ぎに行ったり、またある農家は平日に仕事に行き、土・日に農業をしたりしているそうだ。やはり農業だけの収入ではやっていけないようだ。

 ・日本中の農家がそうだと思うが、後継者不足は深刻な問題である。お話を伺った区長さんの息子さんも役場勤めだそうだ。「今は自分の田は自分でやっているが、もし農業ができなくなったら、田を農協に委託することになるだろう。」と語られた。

 ・世代交代が今、徐々に行われているらしい。お年寄りの人たちは、若い世代が都市にはない村独特の良さが失われないかを心配している。

(下中区の区長さんは比較的若い方であったが、村のこれからについて独自の意見を持っていらして、いろいろとお話していただいた。)

  ↓

 ・今、村では様々な村おこしのイベントが提案されているが、それらも度が過ぎると商業主義に走った意味のないものになってしまう。そして大抵利益を得るのは一部の者だけであり、返って村の秩序を崩す結果になってしまうことも多い。このようなことがおきるのも、昔からの住民と若年層の人々との世代間の考え方のギャップの大きさであり、互いに交流が乏しいために意思の疎通がうまくいかないのである。そこで、まず何よりも村の行事を大切にし、部落民、各年代層の人々が互いに交流を深めることを重要視したい。(会合、村祭りなど)

 また、圃場整備も一部の偏見的な視点から行われたように思われ、少なからず反感を覚えることもある。整備の狙いである能率化アップのために一層の機械化が必要となってくるが、それがかなりの負担となる村民もいて、一概に便利になったとだけは言えないようである。

 ・新しい移転者が増え、後継者が絶えていないのはよいことなのだが、土着した村独特のルール、「村のよさ」が崩壊してしまっているように思う。水源・水利権の移転に伴う課税問題に加えて、行政をやりにくくしている原因の一つである。

 以上のことを考慮しても、一時的・外見的な豊かさ、生活水準の向上よりも、保守的かも知れないが昔から伝わる村独自の「よさ」を見直し、守るべきものは大切に後々まで伝えて欲しい。

 

◎1日の行動記録

 午前中はバスから降りて、伊岐佐下区の生産組合長の八並さんのお宅へ向かい、いろいろなお話を伺った。しこ名や水利について、また村の道や祭祀について等、八並さんが知っている限りのことを私たちに話して下さった。

 八並さん宅で昼ごはんの場所を貸して頂き、午後からは伊岐佐下区の区長である阿蘇さんのお宅でお話を伺った。阿蘇さんと奥さんと、阿蘇さんの先輩にあたる方から下区について、より詳しい話を聞くことができた。

 次に私たちは、伊岐佐下中区の区長の佐伯さんのお宅に向かった。佐伯さんは地図や水利帳などを用意して下さっていて、私たちにいろいろな情報を提供して下さった。

 3軒を回り終えて、それから1時間ぐらいバスが来るのを待った。やっとバスが来て無事に調査を終えることができた。

 伺った方たちは皆さん親切で、私たちにご自分が知っている限りのことを真剣に語って下さった。下区と下中区は隣接していることもあって、結構共通した事項を聞き出せた。



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