【東松浦郡相知町平山下・麦野】

 

1LA97142図師 優、1LA97167問端 圭

 

聞き取りした古老の方々 岸川 正さん

            岸川徳美さん

            井上さん

            波多 孝さん

村の名前

 

小字

しこ名

平山下

田畑以外

まえばる

ウランタン(裏の谷):小字地図では一部の地域の名となっているが、実際は一つの家がそう呼ばれている=岸川徳美氏家

なかた

ヤマノカミ:地域名ではなく、ほこら周辺のこと。何が祭ってあるかは不明。

古道

まえばる

ウチウラ:県道から前原へ入る道。地図に青枠で記載。

〔添付地図省略:原本は佐賀県立図書館所蔵〕

麦野

 

 

●用水

村の名前

用水の名前

用水源

水争いの有無

 

平山下

丸石井手

平山川

この地域は昔から平山川の水量が多かったため、水争いは特にないようだ。

井手の原井手

平山川

麦野

麦野井手

平山川

三つ足井手

平山川

 

 

●祭祀

村の名前

小字

神社

平山下

前原

薬師様

かなり小さく、ほこら的

五社神社

 

二の瀬

八幡神社

日田の代官が建てたらしい。住宅地図では場所が違っていた。

 

 

●村の農業

 ・昔は肥料として馬の堆肥や自分の山からとれる草を用いていた。近くの炭坑に人糞を取りに行ったりもした。今は化学肥料ばかり。

  今は兼業化や高齢化が進んだため、裏作はほとんど行われていないが、昔はたまねぎを中心として、ばれいしょ・野菜・麦などが作られていた。表作は60kg19,000円〜20,000円くらいの米、「ひのひかり」。

 

・村全体は石炭で明治維新前まで盛えていたが、今日は人口も減り、戦後は45戸あった農家も今では12戸まで減っている。この村もやはり後継者不足であり、他の地域から人々が小作を行っている田畑が増加している。人口減少に関しては、今のところ村としては何の対策も考えていない。

 

 ・1994年の大旱魃について

  平山下や麦野においては、平山川により特に被害を受けることはなかったらしい。しかし、やはりある程度は水量が減ったため、国からの補助金や共同購入などでポンプを手に入れ、井手から取り入れられない分の水を直接水田に引いた。

  ちなみに、平山川はコンクリート工事の際の手抜きで水深がかなり浅くなったそうである。

 

 

●村のこれから

 ・農家の減少

 ・高齢化 → 一人暮らしの増加

 ・後継者の減少

  これらのような、過疎化が進んでいる農村に共通するような意見が多かった。「このままホノボノとしているのが一番だ」という意見もあった。少し気になるのは、川の工事に対する不満が少々あったことだ。

 

 

6月29日行動記録

 ・平山下、宗田酒店前下車

・岸川徳美さんにお話を聞く。岸川 正さんを紹介してもらう。

・岸川 正さんにお話を聞く。航空写真を見せてくださる。

・区長宅へ行くが、留守。

・県道平山相知線を歩いて麦野へ。途中、通行中の方の話を聞く。

・波多 孝さんのお宅で話を聞く。

・平山川の川原で休憩。

・区長宅へ。お話を聞く。

・集合場所へもどる途中、いろいろな人のお話を聞く。

・宗田酒店の店主とお客としばらく話す。

・帰宅。 



戻る