【神埼郡三瀬村中の鶴】

歴史と異文化理解A  現地調査レポート

 

1TE96557外山雄祐

1TE96552 助弘耕一

調査に協力してくれた方々

石橋勝彦さん(昭和17年生まれ。53)

野口繁身さん(昭和6年生まれ。64)

三瀬輝美さん(昭和12年生まれ。58)

なお、村の古老はお留守でした。

 

しこ名

  1. 前田

 2. コーマガリ

 3. ハスワ

 4. ニャーショ

 5. フドンムコウ

 6. タケンヤシキ

 7. タロウラ

 8. シロジノ

 9. フジボ

 10.ナガサコ

 11.ベットウ

 12.ヤマイダニ

 13.イシバシ

 14.ヨシエダ

 15.マツノージ

  以上15ヶ所……詳しい位置は地図に記す(地図省略:入力者)

 

当日の行動

当日は、まず中の鶴に到着してすぐ、区長さんの家を訪ねた。留守のようだったが、そこに石橋さんがおられたのでお話を伺うことになった。そこでいろいろこの村や水田のこと伺った。別紙(省略、入力者)

しばらくして、お昼になったので、食事をとった。恐縮にもそこでご馳走になった。 1時半ごろになると、区長さんが帰って来られ、また、お隣の野口さんもわざわざお越しくださった。そこで、さらに詳しく、しこ名やその他のことを聞いた。しこ名と聞いても分かってもらえませんでした。そこでは通称と聞くのが正しいようです。

三瀬さんも野口さんも長谷のところの“しこ名”は分からないとおっしゃったので、そこに“田ん中”を持つ佐藤さんの家(酒店)を訪ね、長谷の“田ん中のしこ名”を聞いた。それで全て終えたので、端のメンバーと合流した。調査が終わったのは2時半くらいだった。

 

報告事項

1994年、一昨年の未曽有の干ばつについて。鳴瀬川(通称大川)から、ポンプで水を吸い上げ対処したらしい。揚げられない所は仕方がないので、そのままにしておいていたそうだ。 30年前の出来事だったなら、と聞いたら、そのままにしておくより仕方が無い、とおっしゃったが、ポンプのある家もあったそうだ。水争いは大川のおかげでないらしい。ただ、干ばつになると取水が涸れるので、出水で作る辺りなどは勝手に水を引いたりすることもあったらしい。大川は絶対に涸れないそうだ。

 

戦前について

戦前の肥料は、山に生えている草を刈って、 8ヶ月ぐらい寝かせたものや、石灰を使用していたそうだ。石灰はいまも使うらしい。

反当たり5から6俵穫れたそうだ(良い田で)。今は7から8俵らしい。

戦前はほとんど湿田だったが、今は圃場整備や、乾田の方が都合が良いこともあり、湿田は減ってきたとのことだ。

 

村の水利について

溜池には、大きさによる言い方の違いがるそうだ。

井堰>溜池>堤>堀(クリーク)の順

この地域では用水は単独で目立った水争いは無し。

 

三瀬の由来について

三瀬には鳴瀬、初瀬、高瀬という3つの川があることから三瀬の名がついたとのこと。



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