【神埼郡三瀬村薊佐古・中谷】 歩き、み、ふれる歴史学 現地調査レポート 1MD96019 内田晶子 1MD 余儀美智子 行き先 佐賀県神埼郡三瀬村薊佐古 佐賀県神埼郡三瀬村中谷 調査日 7月11日(木) 晴れ お話をしてくださった方 佐保さん 昭和4年生まれ 庄島フサエさん 大正12年生まれ
調査した字一覧 <薊佐古> 上(奥)ドウフチ ドウフチ マエダ カワラヤキ イッポンスギ(一本杉) ニマイダ(二枚田) トウベイ田 以上 <中谷> ユノサコ オチヤ 以上 地名 シモノハル(下原) セキヤ(関谷)……現在ダム <杠> キッツウ
1日の行動 7月11日木曜日晴れ バスから降ろされた。もっと時間がかかると思っていたので、朝がよくわからない。しばらく地図とにらめっこして、おおよその位置を使う。とにかく歩いてみる。ダム沿いを南下。中谷を目指す。 15分後ようやく家屋を見つける。観光向けの食堂。湖畔荘の向かい。「こんにちは。私たちは九州大学の学生で、この辺の昔のことに詳しい方をご存じないでしょうか。」お店の方はお婆さんと言うにはまだまだ若い。全くわからず。年配の方も知らないらしい。そんな事は湖畔荘にこの辺りの記録として残っているかも。こんなアドバイスを信じて湖畔荘に入る。 声をかけるとフロントの方が顔出す。推定40代。スーツを着て顔もセットし私たちが想像する古老とは程遠い。 「前にある食堂の方から湖畔荘に記録があると言われてお尋ねしたのですが。」 必死に説明したがやはり手掛かりかりは無いそうだ。 「年配の方は知りませんねぇ。私も福岡から働きに来ているもので全くわかりませんし。役場に行けば記録あるでしょう。車で5分ぐらいすぐですよ。」 あっさりと期待は裏切られる。外に出る。しばらく家はなさそうだ。 地図上の数軒の家を目指して、県道松尾湯ノ原線に沿って歩く。指示通りに古い家屋発見。 1軒目。呼びかけにだれも応じず。人が住んでいるような形跡もない。 2軒目。店の前に張り紙都合により6月14日より当分の間休業させていただきます。残りの家からの返事がない。 そのまま進む。村道薊佐古。ふうのき線との交差点まで来る。ビニールハウスが5棟ほどある。車があるので人がいそうだ。泥の中を分け入って1軒ずつ除く。作業中の方に同じように尋ねる。また若い人だ。何も知らないらしい。しかし、ここで初めて有力な情報を得る。村道薊佐古ふうのき線を北上したところに大きな家におじさんがいるらしい。とにかくすべての家を訪問。ほとんどの家が農家だったにも関わらず、お母さん方は口を揃えて私たちはよそから嫁いで来たのだ、と言いおじいさんたちは唐津まで働きに出て夜まで帰ってこないという。ビニールハウスの方が教えてくださった人にも会えなかった。最後にお会いしたお婆さんは、必死に考えてくれたがやはり知らないということだった。が、佐保さんの家を教えてくださる。 そのまま歩き続ける。通りがかった家はすべて訪問。 7軒目ぐらいに佐保さん宅に到着。が、留守。途方に暮れる。田んぼの向こうに一軒の家を発見。畦道を追って行ってみる。が、ここも留守。 昼食時だ。北上するうちに松尾まで来てしまう。若宮神社前の店の横にある現地で昼食。ためしに松尾を訪れると、若い方や非農家の人が多い。唯一のおじいさんはすでに松尾の担当班が調査済み。 もう一度薊佐古へわずかな望みを頼りに佐保さん宅へ。やっとご在宅でした。 調査開始。「あざ名」ということも説明せずに分かるらしい。はじめのうちは若い世代の私たちと話すのが嬉しいという様子で、私たちの学生生活をいろいろ聞かれた。後から尋ねるとお孫さんが長崎大の学生で一人暮らしをしているようだ。そして自宅前の田んぼ見ながら由来付きで解説。 すべての由来はわからないそうだ。判明した分だけ書くと、 マエダ 由来 自宅の前にある田んぼである。 カワラヤキ 由来 土壌の性質から昔瓦を焼く職人がいた。 トウベイダ 由来 トウベイさんの田んぼだった。 ユノサコ 由来 ユというのは湯のことである。比較的雪の積もりやすい三瀬村だが、何故かこの辺りだけ積もらないということから、昔の人は地下に温泉源があると考えた。 という由来があるらしい。 しばらく滞在した後、最後にまた北山ダムあたりに遊びに来たら、家を訪ねてくるように、とのことだ。本当に親切にしていただいた。そして庄島さんを教えてくれた。行ってみると、午前には留守だったが、今度はご在宅。本人はいなかったがお婆さんがいた。尋ねると、農家の方ではないので田んぼのことは知らないらしい。中谷の方を聞いてみるとダムに沈んだ地域をいくつか教えてくださった。 オチヤ(落合と書くらしい) 由来 昔、放った矢が落下するポイントだったらしい。 ユノサコ 由来 佐保さんと同じことを言っていた。 20分くらい話した後、もう一度午前訪ねて留守だった家を回りそしてもう一度湖畔荘に。ダム沿いに行ってみた。しかし努力の甲斐むなしく、これ以上の収穫はなかった。
<まとめ> 結局、中谷の方にはほとんど家屋が見当たらず、中谷の調査はできませんでした。地元の方に聞くと、あの辺りはダムになったから人は住んでいないと言われました。薊佐古で出会った二人の方もまだまだ古老と呼べない若さで、水利のことなど尋ねても「分からない」という返事がかえってくるだけでした。とにかくほとんど休まず歩き続けて努力したほうだと思います。
<感想> 都会の喧噪から放たれて本当に交通の便のない自然の中で調査したのは意外に面白かったと思います。こんなにも家がなく、人がいないのは驚きましたが。庄島さんによると薊佐古、中谷は人が少なく、自分の友人も詰ノ瀬や中村に多いということでした。どの方も突然の訪問に応じて下さり、人の温かみにも触れることができ、充実した一日を送れました。 <ついでに> 日曜日の方が(家族の団らんを乱すことにもなりかねないが)男性の方が家にいらっしゃってよかったかもしれません。 |