【神埼郡三瀬村中村】 歩き、み、ふれる歴史学 現地調査レポート 1MD96007 池田水子 1MD96076 堀亜希子 7月11日(木)取材 行き先 佐賀県神埼郡三瀬村大字中村 古老 田中正さん 大正13年10月生まれ 柴田明寿さん(区長)
しこ名一覧 すべて田 大字<中村> 小字園田 シグレ ウドムキ コマバル カミゴウラ 宮ノ口 ウドンタニ ミヤノクチ 床並 ウスギ カイマタ 詰瀬 ナギノトウ ショウヤケ 宇土 大戸 ウスギ クマバル 野田 マエダ 当日の行動 7月17日木曜日の午前9時ごろ、六本松をバスで出発した。目的地の三瀬村大字中村には大体10時半ごろに到着した。バスから降ろされたのはいいが、人の気配が全くなかった。それで、とりあえず清流寺へ行ってみたが、やはり人はいなかった。 次に田中正さんの家を訪ねてみるとお嫁さんが出た。しこ名を調べているとの事を話すと、村役場に行って田んぼの地図をもらった方がいいと言われ、親切にも岸高にある役場まで車で連れて行ってくれた。 村役場の農地課というところに田んぼの地図がないか尋ねたとひろ、田んぼの地図はまだ作っていないとのことだった。そこでとりあえず中村付近の住宅地図をコピーしてもらった。そして、再び中村へ連れて行ってもらった。 田中さんの家に戻って田中さんの話を娘聞くことができた。田んぼの地図があればほとんどすべてのしこ名は分かると言われた。しかし、その地図はなく、自分たちで作ることもできないので、小字の名前と、その小字にどういうしこ名の田が存在していたのかを聞くことにした。(その成果はno 1のしこ名一覧と地図に示す)よくご存じだったので、田んぼの地図さえあればと思った。お嫁さんの話によるとここらあたりは兼業農家がほとんどで、今日は平日だから皆出払っているということだった。また、こういう時なら野良仕事に出ている人が、いったん家に帰ってくるかもと言われ、とりあえず自分たちが先に昼食をとることにした。 ※こぼれ話 田中正さんの話によると、現在の中村あたりは昔森の木村と呼ばれていたが、大火事で森がなくなってしまって中村という地名になったらしい。またしこ名のショウヤケというのは、庄屋があったからとのこと。しこ名にはそれぞれ由来があるようだ。それと良い田.悪い田も教わった。(地図参照。佐賀県立図書館所蔵) 昼食後区長さんである柴田明寿さん宅を訪ねた。ちょうど柴田さんは家にいる時で、しこ名について聞くことができた。現在はしこ名は使われていないようで、思い出しながら考えてくれた。成果はno1のしこ名一覧と地図に示す。 ここでも田んぼの地図がなかったために、小字のお名前と、そこにあったしこ名、そのおおよその位置のみしか分からなかった。その後ぶらぶら歩いていたが、田んぼの仕事している人は見当たらなかった。1人通りがかりの初老の方がいらっしゃったので少し話を聞いた。その人によると、自分の田んぼを呼ぶときは、単に「前田/後田」と呼んでいたらしいことが分かった。 水路事情については聞くことができなかったが、近くに鳴瀬川があるため、そこから水を引いていたと思われる。 清流寺と言う名前からも水には事欠かなかったのでだろうと思った。以上が自分たちの当日の行動である。 宮の口、寺ノ下へ行った人に後で話を聞いたところ、ゲートボール大会があるとかで、皆ゲートボールをしに行っていていなかったらしい。平日と言うのも重なって、多くの人に話が聞けなかったのが残念だった。次回は平日を避けた方が良いと思う。それでもこういう現地調査はなかなか体験できないので、よい経験になったと思う。 |