【神埼郡三瀬村小切】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

s1-18 1TE96532 伊藤寛

−田ん中のしこ名とその水利について−

・行った先の市町村 佐賀県神埼郡三瀬村小切

・古老の名前 山本さん

・古老の生年月日と年齢 大正99 (75)

・しこ名の一覧

 

当日の行動

とりあえずなんとかバスの時間に間に合い、それからまもなくバスは出発し、早良区を通って峠を越えてトンネルを抜けて、佐賀県三瀬村に到着した。多少事前に準備していたものの、いざ行動する段階などと戸惑いが生じてしまい、少々もたついてしまったが、マニュアルみたいなプリントを見て、とりあえず古老に会って、小切について詳しいことを聞くことにした

僕たちの班は、他のグループに比べてバスで下ろされた場所からかなり離れていたので、ちょっと先がおもいやられたけれど、その古老の家に着く途中、色々な発見があった。それは、都会ではめったにお目にかかれない田んぼの数であった。それから、そこでの田んぼや山林に生息する生物たちにも驚かされました。また、管というよりは、消防車のホースみたいな、なかにはおそらく水が入っていると考えられるものがあったりして、古老の家までの距離は苦になりませんでした。

しかし、しばらくして、小切と言うところに着いたのはいいけれど、住宅でその周辺の家々の家主か知らないけれど、その古老の名前を探してみたけれど見つからなく、またそこで戸惑ってしまった。だから、その山本と言う苗字の家は、 4から5戸あったので、片っ端から訪ねて、古老の居場所を探すことにした。それで、とりあえず、一見訪問してみたが留守だった。

その時、道を下ってくる軽トラックが、これから行こうとしている家に入っていったので即訪ねてみた。すると本当に運良く、それが古老の家で古老ともう一人がいて、何やら商談みたいなことをしていた。そこで、それが終わってから話を聞くことにした。5から10分後その二人の話が終わったので、まずプリント通りに、「田ん中のしこ名を、大学の歴史の勉強として聞きに来たのですがしこ名を教えてくれませんか。」と尋ねてみたら、といったのでヤバイと思ったけれど、二人で話し合っていたもう一人の人が、「田ん中ゆうたら、あれよ。」とか言って、田ん中のしこ名について、何からまた二人で指差して田ん中のしこ名を教えてくれ始めたので、地図で場所確認した。そこで教えてもらったのは、その古老が所有する田ん中のしこ名で、サコンタニ、コウラダニ、ウチノのそれぞれ4枚、4枚、1枚の田んぼでした。そのうち二つのしこ名とどれとどれかはちょっと忘れたけれど、そこにはニワトリ小屋があるとのことでした。

次に村の水利のあり方について尋ねてみたところ、まず村が淡水(アオ)によっている村かどうかを聞いてみたら、直接水を引いているらしく、淡水(アオ)による村ではなかった。

1994年つまり一昨年の水不足対策について聞いたところ、先にも述べたようにパイプで直接水を引いているので、水には困っていなかったそうです。だから他の村からのもらい水、時間給水、犠牲田の設定なども一応したかどうか聞いてみたが、そんなものはしていないと言われました。

それから、もし30年前にこのことが起こったらどうだったかと想定されるかも聞いてみたが、想定できないようなことを言っていました。なぜかとさらに聞いてみたら、 30年前のことは記憶にないと言っていました。次に、村の範囲はもう一人の班員の鬼塚君が地図に書いてくれていると思います。

入会地、入会山については、話の中に出てきませんでした。

次に村の耕地について。村で特に米がよく取れるようになった所、逆にあまり取れない田ん中があったのかどうか聞いてみたところ、どの田ん中もよく取れないと、冗談ぽく言われました。

次に戦前にはどのような肥料を使っていたのかと尋ねたが、堆肥を使っていたと言っていました。

戦前の良い田では、反あたり何俵で、悪い田は何俵ぐらいであったのか聞いてみました。それについても戦前についての記憶が確かでないと言われました。

だいぶお二人も会話に溶け込んできている様子だったので、村の姿の変わり方、今後の日本農業への展望について聞いてみました。するとよく分からんけど、日本農業よりも自分たちの農業の方が大事であるというようなことを言っていました。

あと村の姿の変わり方について触れられませんでした。

いろいろ雑談したあと、車で先に述べた、サコンタニ、コウラダニ、ウチノを案内してやろうかと言われたので案内してもらうことにしました。

まず、ウチノ。1反の田んぼを見学した後、サコンタニに車で行って、狭い道を上がった左側に1反の田んぼがありました。そこには何が作られているのか聞いたところ、古老の所有する9反の田んぼには餅が植えられていると言っていました。

次に、最後のコウラダニに行く途中、1つ目の鶏舎があり、しばらくして古老が急に車を止めたので、何が起こったのかと思っていました。すると、後ろの荷台からカマを持って来たのでただごとじゃないなと状況を見守っていました。なんと道の真ん中にヘビがいたから今までの出来事を理解することできました。しかし、それにしてもすごい田舎にいるんだなとつくづく感じました。

そして、もう少し車で行ったところにもう1つの鶏舎と猪小屋みたいなのがありました。猪を生まれて初めて目の前で見ました。テレビとかで見るよりはでかくて迫力があり感動しました。でも、そこいるイノシシたちは、古老によるとう罠に引っかかったやつで、比較的小ぶりで、普通猟で撃ち殺すイノシシはその罠にかかったものより一回り下二回り大きいそうです。

そして、次にそれを見た後、古老の家に戻りおりを一言言ってその場所で別れました。さすがに2つの田ん中だけではあまりに少ないので、帰り道にあるそれぞれの家に聞いてしこ名を聞くことにしました。それで、3から4軒の家を訪ね、20まではいかないまでもそれなりの数詳しいことはもう一人の鬼塚君の地図で見てください。ついでにここで断っておくけれど、鬼塚君と連絡が取れないので、最初のしこ名の列挙もある程度印象に残ったものしか記憶にないので分かりません。だからそこら辺は省略させていただきます。

元の話に戻りますと、一通り終わったのはいいけれど時間を見たらバスが来るまでかなり時間があり、とりあえず近くの売店で飲み物を買って休憩をゲートボール場でしていたら、突然一人の老人が来て話かけてきました。そして、いろいろ今やっていることを話したら、この辺の人のようでした。しこ名をいくつか教えてもらい、また組合長に聞けばもっと詳しいこと教えてくれるとおっしゃいました。そこで、休憩を止めてその生産組合長の家を教えてもらい、そこに行ったら、さらに詳しくしこ名について聞くことができました。

なんとかやることをやったのだが、まだ時間は2時間ぐらい余ってしまい、バスが来る売店に入ってアイスを買ったらそこの店のおばさんが出てきてそこでもまた自分たちが今何をやっているのかを聞かれたので、大学での歴史の授業の一環として田ん中のしこ名を調べていることを言ったら、いろいろとそこの土地柄とか歴史についての話を聞くことができました。そんな感じで話が盛り上がり、あっと言う間に時間が経ち、バスが来てなんとかうまくレポートができたと思います。終り。



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