【神埼郡三瀬村神有】 歩き、み、ふれる歴史学 現地調査レポート
1MD96083 松下昌文 1MD96033 河口知充 行き先 佐賀県三瀬村神有 訪ねた人 荒木安敏さん 江島栄一さん 森田恒夫さん 江島修三さん 藤原正臣さん 石丸勝彦さん
調べたしこ名 八田 タバル 広瀬川 桜字 オオチノハル(大地ノ原) ヒラキダニ、またはシラキダニ(広木谷) マエ(田) キョウケンヤシキ ウラヤマ 神様ノ家 ササノセ 天神(ホコラ) 天神サマノ山
当日の行動 まず、スクールバスに乗って目的地に向かい、調査地である神有には10時30分ぐらいに着いた。まず、先生が紹介してくれた古老を尋ねることに決めた。ところが具体的な番地とその位置が分からないので、 2人で話し合って、岸高にある三瀬村役場に行き、具体的な神有の地図をもらってその地図を基に行動をすることにした。地図は同封(地図省略:入力者)。 まず、古老の人を尋ねる前に、アポイントを取ろうと思ったが、平日の日中ということもあって、紹介された2人が不在。荒木芳治さんの父安敏さんが在宅しておられたのでその人を尋ねることにした。あまり知らないとおっしゃっていたけれど、結構思い出してもらって、ある程度の数のしこ名を教えてもらった。他に古くからいる人を知らないか尋ねだけれど、よそから来た人が多いということを聞いてあまり成果は期待できないかもと思った。隣にもおばあさんがいたので訪ねて二つ、三つしこ名を教えてもらい、もう一度紹介された古老のうちの一人、無津呂さんに電話をしたけれど不在だったので、ひとまず昼食をとることにした。いない人を待っていても仕方がないと思い、片っ端から家を訪ねて調査することにした。しかし、平日の昼ということもあり、あまり家にいた人がおらず、また、よその村から来た人が多かったのでしこ名をあまり聞き出すことができず、 13〜15個ぐらいしか聞き出せず村を後にした。 僕たちのグループはあまりしこ名を聞き出すことができなかった。その理由としてはあまり古老と呼べる人はいなかったのと、平日の昼まで仕事に出ている人が多かったということがある。その他にもかのほとんどが農業試験機の所有となっていたりして、他の呼び名があまり調べられなかったということにもあるし、神有という部落の範囲があまり広くないということもあった。最後に突然来訪したボクたちの質問に快く答えてくれた三瀬村の人たちには心から感謝します。
水利の報告 神有地区の水田は地図にもある通り、佐賀北部農業改良普及所佐賀農域三瀬分場があることもあって、そこの水田が多いとのことでした。そして水田への水は広瀬川から農業試験場を通って引いているとのことでした。
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