【神埼郡三瀬村井手野(2)】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1TE96554 田村進 調査した地区 三瀬村井手野 古老の名 福島弥太郎さん明治44年生まれ しこ名 ボウズ ケイド マエダ ヒガシンサキ ヒガシ マガイ オセフチ オケダ ヤマガゴウラ ヤマガエダ 上ガタ 下ガタ ニシノゴウ イケダ ボウズウオ シタガタ マガノエ ドジョウダ イロウラ スギノモト ヤシキノバ
朝8時にみんなと集合して、それぞれの行く場所を確認してバスに乗り込んだ。バスから降ろされたところは山の中で、人気のある様子もないところだった。とりあえず住宅地図を見て、人の家を探し、そこを訪ねると「しこ名は知らない」と言われた。しかしゲートボール場に村の古いことを知っている人たちがいると言われて、そこを後にしてゲートボール場を訪れた。 そこでぼくたちはゲートボールをしている人たちに悪いと思いながらも「田ん中のしこ名を教えてください」と言ったところ、しこ名という意味が理解できなかったようなので、「村の中の人たちだけで呼び合っていた名前です」と言ったら、「ああ、あだ名か」と言われた。この辺りではしこ名ではなくあだ名と呼ぶ人もいるらしい。そこでぼくたちは大まかなしこ名を聞いて、地図に記入していった。しかし、それは田んぼ1枚1枚に付けてあるのではなかったので、もっと詳しく知っている人はいないか尋ねたところ、福島弥太郎さんが知っていると言われた。そこで僕たちは福島さんの家に向かった。 福島さんの家に行く道のそばには柳瀬川というとても綺麗な川が流れていた。後で聞いた話だが、井手野や栗原で生活している人たちは、その柳瀬川の水を利用して田んぼの水にしているらしい。また山近くにある田は、谷からの水を利用したり、下にある柳瀬川の水をひきあげたりして利用しているらしい。この話は田んぼで作業をしている人から聞いたものである。 福島弥太郎さんの家でぼくたちは細かいしこ名を聞くことができた。例えば「マエダ」というのは家の前にあるからつけたものだし、「ヒガシ」も家の東にあるからそうやってつけたということもわかった。つまり、しこ名というのは村の人々また家族の人々の中で通用していた簡単な名前だということも分かったし、いくらか弥太郎さんのおっしゃった言葉の中で聞き取れないような発音で同じ日本語には聞こえないものもあった。僕らが夢中になって色々なしこ名を聞いていると、弥太郎さんはどんどん教えてくれていたが、次第に弥太郎さんは疲れていくのが分かったので調査をそこでやめた。 一応目的のしこ名を聞けたので、僕たちは栗原の班の人たちと一緒に行動して栗原に行った。栗原は山奥にあり、とても調査が困難となったが、先に述べた田んぼで作業している人たちの話を聞くことができた。その人は自分の田んぼが一昨年の渇水で潰れたのでその田んぼの整地をしていた。僕らはしこ名を聞いて、そして少し雑談をした。 水利はやはり柳瀬川の水を引いて使っているということだった。またそれだけでなく生活の水としても利用しているそうだった。確かに川の水はとてもきれいだった。栗原に行く前に昼食をとり、ジュースがなくなったので家の人に水を下さいといったところ、その川の水を飲んでいいよと言われたので、そのまま飲んだ。それほど綺麗な水だった。しかし、その水だけでは田をまかなえないので、やはり雨が頼りとなるらしい。だから、一昨年の渇水で、潰れた田も少なくないらしい。 上のような話をした後、「若い人たちにしこ名教えたりしないのですか」と質問したところ、「若い連中は街に出ていってしもうて、わしら年寄り連中しか畑仕事をせんから教えられのじゃよ」とおっしゃった。この言葉を聞いて僕はドキッとした。今なくなりつつある伝統的地名は、実は僕らがなくしているのではないかと思った。そして同時に時代の流れをも感じた。現代の問題である過疎化もこれをなくしているものではないか。村から人がいなくなり、食の伝統、歴史、風土が潰れてしまうことは当然のことなのか、それともいけない事なのであろうか。調査を終えて、ぼくはバスの中で消えつつある伝統の村を背にしてとてもいたたまれない思いを感じたし、同時にこのしこ名の採集はやるべきことだったと実感した。 |