【神埼郡三瀬村井手野・栗原】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

 

S1-18 1TE96547 桑原 学

S1-18 1TE96551 柴田宜彦

S1-18 1TE96555 土屋隆志

協力者(話をしてくれた方々)

 福島旭さん 大正62月生まれ

 宮島好さん 大正138月生まれ

  芹田文男さん 昭和29月生まれ

 園田俊次さん 大正1511月生まれ

 福島弥次郎さん 明治44年生まれ

 

しこ名一覧

柳瀬

 ヨセダ

 スギノモト

 ハッタ

 ヤシキノハ

 ヨツダ

 イロウラ

 ドジョウダ

井手野

 マエダ

 イダ

 ヒガシンサキ

 オセフチ

 マガノエ

 マガイ

 オケダ

 ヤカタ

 ヤマガゴウラ

 ヤマガエダ

 ウランダイラ

 ニタンソウ

 キタムキ

 ニシノタニ(谷の名)

 マガタイ(谷の名)

 ヨシノヤマ(山の名)

 カナシバヤマ(山の名)

栗原

  ボウズウオ

 ソウヨンダ

 ケイド

 ドロヤマ

 コヤマ

 ニシノコウ

 ヒロタ

 モトヤシキ

 フルヤシキ

 ベンジャヤマ

 カネウラ

 

しこ名について

しこ名といってもほとんど分かってもらえなかった。また、女の人はほとんど知らないことが分かった。畑や借り入れて仕事をするのは男の人なので、あまり女の人はそういうしこ名を知らない人が多いのだろうと思った。しこ名というのはちゃんと名前をつけられた意味があり、例えば前田だったら集落の前の田んぼだから前田と呼んでいたり、他にはヒガシンサキ(東ン先)で、これは集落の東の先の方という意味があるということが分かった。そして、しこ名というのははっきりと分かれているのではなく、だいたいおおまかでしか使っていないことが分かった。また栗原のところのように、「ボウズウ(坊水)」の中に「ケイド」とか「ソウヨンダ」とかいった名前がついて所もあるということが分かった。

しこ名というのは大体の地域を示すのに使っているので、使っている人の間で多少ズレが生じていることもあるということが分かった。

 

水利について

昨年、一昨年の渇水では、栗原あたりの高い所にある水田ほど影響が大きかったようである。栗原の「ケイド」のところでは、水田だったところが渇水の影響で水を引き入れることができなくなり、畑になってしまっている所もあった。栗原の「ケイド」のところでは、だいたい「カネウラ」のところから流れている水を使って水田をしていたが、渇水の影響で水を引くことができなくなり、ホースで低いところから(おそらく栗原川のあたりから)水を引いていた。

 

当日の行動

自分らは井手野、栗原方面を調べることになっていたので、まず、バスを降りてから柳瀬を抜けて井手野まで行ってみました。そこで畑仕事している女性(60才位)を見かけたのでしこ名について尋ねてみましたが、よく何のことか分かってもらえなかったみたいで、ゲートボール場へ行けばもっと年配の方がたくさんいると言われたので、とりあえずゲートボール場へ行ってきました。そこにはお年寄りの方がたくさんいてゲートボールを楽しんでいたので、なるべく邪魔にならないようにコートの外で休んでいる人に聞ていみました。

まず、しこ名について教えてくださいと言うと、しこ名とは何のことか分からなかったみたいだったので、田んぼについてる名前みたいなものですと言ったらなんとか分かってもらえました。

そして自分らが持ってきた地図を見せると親切に柳瀬から井手野、栗原の方までたくさんしこ名を教えてくれました。そこで「もっと詳しく分かりませんか。この村でいちばん端中について詳しい人は誰ですか。」と聞くと、福島弥次郎さんが一番くわしいと言われたので、その福島弥次郎さんの家を訪ねようとしたけれど、ちょうど昼食時だったのでとりあえず昼食をとることにし、それからその家を訪ねることにしました。

昼食をとり終えると、早速福島弥次郎さんの家を訪ねました。訪ねる途中、家が分からなかったので近くにいた女の人にいよう聞いてみると、その人はたまたま福島さんの家の人だったので、家の場所を聞いてすぐに見つけることができました。そして家を訪ねると弥次郎さんがわざわざ外まで出てきてくださって、特に井手野の東の方についていろいろ詳しくしこ名など話を聞くことができました。しかし、まだ栗原周辺があまり分かっていなかったので、とにかく栗原の方へ行ってみました。

そこは急な坂道が続いていて、周りには田や森ばかりで、ほとんど家がありませんでした。坂の上の方で一軒家を見つけることができたので、その家を訪ねてみると、一人女の方がでてきたのでしこ名について尋ねてみると、「私はよそから来たのでよく分からないけれど、利次さんがトラクターで畑へ出かけていっていたのでそこで聞いたらいい。」と言われたのでそうすることにしました。その俊次さんというのはゲートボール場で話を聞いた中の人だったので、だいたい顔はは分かっていました。その利次さんがいた畑というのが「ケイド」のあたりで、奥の方だったので見つけるのに苦労しました。やっとのことでその畑を見せてその園田俊次さんに話を聞くことができました。栗原周辺のしこ名についてや、水利についてなど忙しい中いろいろ親切に話をしてくれました。こうして自分らの井手野、栗原の調査を終えました。

 

調査を終えた感想

まず調査にて感じたのが、そこに住んでいる人が、尋ねたことに対してとても親切に教えてくれてとても優しい人ばかりだと感じました。また、そこに住んでいる人全員が家族のように助け合って生きていて、とても心の温かい人たちばかりだと思いました。しこ名にもそういう人たちの人間味というの感じることができると思いました。しかし、そのしこ名もだんだんとなくなっていっているのは非常に残念だと思いました。村に残って農業をしている人は年寄りばかりで、若い人たちは都市の方へ出て行ってしまうからです。できることなら、そのしこ名がなくなってしまわないように守っていくことができたらいいと思いました。



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