【唐津市北波多村志気】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1LT97026 宇キ 美咲 1LT97154 本村 香織
調査日:平成9年7月8日 お話を伺った方:川添 政市様 (不明) 山崎 猛夫様 (大正12年生まれ)
私たちは去る7月6日(日)に佐賀県東松浦郡北波多村志気において、しこ名等についての聞き取り調査を敢行いたしました。ところが先生もご存知の通り、その日志気は村中総出の草刈りの後、秋の豊作を願っての夏祈祷が行われるとの事でした。貴重なお時間を割いて頂き、区長さんにお話を伺いましたが、しこ名についてはご存じなかったようです。 そこで、どなたかしこ名に関する知識をお持ちの方を紹介してくだるようにお願いしたところ、山崎猛夫先生のいらっしゃる公民館まで送ってくださり、私たちも志気についてのいろいろなお話を伺うことができました。 しかし、本来の調査目的であるしこ名は、その場所など不明な点が多く、ほとんど分からない状態となっていました。その一方で、小字に関してはたくさんの情報を集める事が出来ました。しこ名の調査が不十分に終わってしまった事は、甚だ遺憾に思うところです。
*小字一覧*
※「中の瀬」は志気橋付近であるが、おそらく志気では無い。
*志気について* ・1994年の大旱魃の時はどうしたか。 志気では旱魃はなかった。ため池から水を引いた。 30年前ぐらいに大旱魃があったが、その時は川から人力で水を汲み上げて運んだ。水利権が最初から決まっていて、争いはなかった。 ・どのような作物が取れるのか。 米の他には茶、梨、ミカンなどを作っている。昔は1年に3回収穫され、それぞれ一茶・二茶・三茶を呼ばれる。嬉野茶をしのぐ人気がある。梨は7月初旬に早くも出荷されている。 ・焼き畑につけた名はどんな名か。 志気には焼き畑はない。焼き畑は広い場所に作るものである。 ・「○○ノウテ」と呼ばれる道はあったが 田植えの時に縄を張って苗を植える場所の目安にするが、その縄の手前の方を縄手という。地名にある場合が多く、道はない。 ◦屋号は農家にはほとんどない。特別な家(本筋の家など)ならばニシ、ヒガシなどとついた。 ◦川に下りる通路をコージ(小路)と言う。 ◦志気は、他村とあまり関連がない。 ◦7月6日は夏祈祷または夏越し祭りといって、その年の豊作や無病息災を祈る行事があった。天満神社という神社で行われるが、実は神仏習合で、神事は僧が行っていた。
―終わりに― 私達は生まれて初めて現地調査というものを体験しました。短い距離でしたが、ヒッチハイクまでして志気まで辿り着いたまではよかったのですが、運悪く村の方々は忙しく、十分にお話を伺えずに落胆していたところでした。ところが運良く山崎先生に巡り会うことができました。 ただ一つ心残りだったのは、まさに現地である志気の方々との交流が無かったことです。せめて夏祈祷だけでも見学したかったのですが、開始時間が午後3時半であり、とても無理でした。 強く興味を引かれたのは、小字の名づけ方や、その成り立ちでした。文字(漢字)と実際に発声される音との結びつきの不思議さに気づくことができました。 |