【唐津市北波多村大杉】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

1LT97093 土江 純平

1LT97112 二宮 知也

 

調査日:平成976日(日)

お話を伺った方:平野 紀元さん(昭和8年生まれ、64歳)

                            原田 静馬さん(昭和7年生まれ、65歳)

 

私たちは午前1015分頃バスを降り、住宅地図を頼りに平野さん宅を探した。この日の前々日にお電話した時は行事があるとおっしゃっていたが、伺ってみるとそれは北波多中学校で行われていたバレーボール大会のことだった。午前11時頃、平野さんは原田さんと一緒に戻られ、話を聞くことができた。原田さんには何のアポイントメントも取っておらず、また事情も話していなかったが、平野さんがその辺りを話して下さっていたのか、一緒に教えて下さった。

まず、私たちは田んぼや畑などのしこ名をできるだけ多く教えてもらえるよう頼んだ。平野さんがおっしゃるには、近くを流れる徳須恵川は3040年くらい前に河川改修工事があって、今のように真っすぐになったということだ。さらにその後も整備が行われ、水利や能率の面では便利になったが、各個人の所有する田の数が大幅に減り、形も変わったそうだ。その整備により提出した地図と現在の小字の範囲は大きく異なっているが、あえて同じ小字名であっても表記した。

そして田んぼのしこ名だが、フケタといういつも水が溜まって排水のきかない田がなまってできた“フケンタ”、今はもう埋め立ててないが昔船着き場があったことからそう呼ばれている“フナバ”、その他“タケアリ”“ハタケダ”“ヤツエ”“タナカ”“ヤマシタ”など、聞いただけでも10個以上はあった。

次にこの辺りの地形、すなわち山や谷、溜め池や道などのしこ名について伺った。この大杉という土地は昭和40年代に潮止め工事が行われて今はないが、近くまで潮の満ち引きがあった程低い土地で、水がなかなかこないために溜め池が多いということだった。小さいのを含めて8つ以上はあり、そのしこ名も変わったものが多い。その昔本当に鰻がいたかどうかは定かではないが、いたということでそう呼ばれている“ウナギダメ”、雨が降って水かさが増すと2つの溜め池がつながることからそう呼ばれる“フウフダメ”(別称:その辺りをムタと呼ぶことから“ムタダメ”)、ソウケという竹ざるのように、雨が降っても水がすぐ引いてしまうことから呼ばれる“ソウケダメ”、昔近くに共同風呂があったことでそう呼ばれる“フロダニダメ”、その他“タヅツミ”“大山口溜”、今はなくなって畑になっている“ナカダメ”など、数多く存在している。

山や谷、道などのしこ名に関しても、裏の坂(ウラノサカ)がなまってできたといわれる“ウランサコ”という道()、物もらいのことをゼンモンと呼んでおり行き倒れになって亡くなったその人たちを埋葬したことで付けられた“ゼンモンノハカ”という地帯、今はないが昔子供たちが石を投げて遊んだことに由来する“イシナゲバシ”という橋、そこの地形が扇のように見える“オオギベラ”、雨が降ると水が溜まることからそう呼ばれる“アマヅツミ”という地帯、その他“ジンパチシンデン”“ミョウガダニ”“ナカオンヤマ”など、これも数多くあるが、すごいと思ったのは“ブラジル”というしこ名、というより単なる通称名のように思われるが、1年に1回行くかどうかという遠をブラジルのように遠い秘境の地ということで、誰ともなく言うようになったらしい。現在そこはミカン畑だそうだ。それともう1つ驚いたことに、この辺りでは古墳(?)があり、中からカメ棺が出てきたそうだ。これらは40年くらい前のミカンブームで開墾が進み、それによって出てきたものだが、その当時は関係なく壊して開墾を進めていたが、現在は県の教育委員会などが厳しく注意・管理しているそうだ。

村の水利について、当然近くの徳須恵川がその主たるものだが、昔、田に水を引く時は溝を土のうで堰き止めて水を取り入れていた。排水時はその土のうを取り除く。ここで重要なのは給水と排水の溝が同じということだ。そして平成2年くらいにこの溝が給水・排水と別々になり、それによって隣の人の田に関係なく水を適度に調節できるようになった。その取り入れ口ともなる水門にしこ名がある。フナバの近くにあることでそう呼ばれる“フナバスイモン”、四角の形をしていることからそう呼ばれる“シカクスイモン”、土管を2本並べて水門がわりにしていた(現在は違う)ことでそう呼ばれる“フタツスイモン”の3つである。用水路のしこ名に関してはあまり分からなかった。近くの共同風呂から流れる水が通っていたとされ、風呂のしり(フロノシリ)がなまってできたとされる“ホンノシリ”というものがあった。

水利に関してもう少し。先程も述べたが、この地は土地が低くて洪水も多かったらしい。しかし今は河川改修や堤防を高くすることで、ほとんどその被害はなくなっている。またそれによる水争いは、この地では少なかったようだ。村の中ではなかったというし、他の村と言い争うことは度々あっても、深刻な「争い」になることは少なかったらしい。初めは今のような橋もなく、平野さんのお父さんはずっと迂回して、岸山付近の徳須恵橋を渡って学校へ行っていたそうだ。そのように考えてみても、昔は本当に大変だったことが分かる。

私たちはさらに村の範囲や古道のことを伺い、村の行事についても伺ってみた。なんでもまず元旦、除夜の鐘を聞き、午前0時に天神社という社に集まって新年の挨拶をする。以前は元旦の午前9時から行われていたが、若い人たちの要望により変わったということだ。次に4月上旬には春祭り、6月下旬の田植えが終わった頃に五穀豊穣を願って五穀神社に、百姓の無事を祈って氏神様を祀る天神社に、そして夏の病除けを祈って正福寺を回る夏祭り、9月には厄神祭、権現祭、荒神祭と同じ日に各神社を回る行事があり、毎年1017日、旧日本のカンナミの日に秋祭りが行われる。ここではおもしろいことに、春祭りは神主さんに、夏祭りは和尚さんに、厄神祭・権現祭・荒神祭は和尚さんに、秋祭りは神主さんにと、それぞれ違う方に行ってもらっているそうだ。

さて続いて、昔あって今はない行事に、稲刈りが終わった後、幾束かの稲を供える“タノカミサン”、子供の祭りの“イノコサン”、そして11415日に行われていた、竹の先をわらなどでくくり子供たちが家の周りを叩いて回り、終わった後折って柿の木にかける(多くはこのまま子供のおもちゃとなったらしい)という、一種の魔除けの行事の“モグラウチ”がある。平野さんらはもう一度、この良き伝統行事が復活することを望んでおられた。また、岸山から入る道、唐津市の方から入る道、大杉橋を通って入る、村の3つの入り口には魔除け用の木の碑のようなものが立てられていて、村の人たちがいかに神様を大切に崇めているかが分かる。このように行事を見てもやはり地域ごとに差があり、興味深く感じた。

最後に村のこれからの在り方などについて伺った。始めの方で述べたように、確かに河川の改修工事などにより洪水などの被害もなくなり、能率も上がった。しかしその反面、このことや国の減反政策などによって、各個人の所有する田が大幅に減るなどの大損害も被った。また、昔は山のあちこちに多くの清水が湧き出ていて、平野さんが子供の頃にはよく飲んで遊んでいたそうだが、今は全くと言っていいほどないそうだ。それは山を切り崩して道路を通すことで木々が伐採され、山に保水力がなくなるためだ。これに伴い、一年中水があふれていた所がひからびたり、雨が降ると洪水のように一気に流れ出し、逆に雨が降らなければすぐカラカラになってしまうという被害が、新たに起こっている。このことからも私たちは「環境を守る」ということについて真剣に考えなければならないのだと強く感じた。それに関連するものとして、現在大杉の北崎(小字名)と岸山とを道路でつなぐ工事が進んでいる。どうもこれは政治がらみ・金がらみのものであるらしいと言われており、大杉の村としてははっきり言って不必要な道であるとおっしゃっていた。これによって産業廃棄物の投棄や、道路を通すことで木々を伐採するなど自然破壊が心配であるともおっしゃっていた。こう話されてから、将来私たちが社会で働くようになって、このようなことを行うようになった時は、環境への配慮も考えて欲しいとおっしゃっていた。テレビなどよりもずっと身近に環境問題を感じ、深刻なものとしてこの言葉を受け入れた。

話が終わった後、平野さんは車で案内して下さり、地図と対応させながら懇切丁寧に教えて下さった。“ウランサコ”を通り山に入った。山にはミカンの木や茶畑などが多く見られた。そして、いろいろな溜め池を見たりしながら登って行った。山の頂上付近で一望すると、村のことは言うまでもなく、結構晴れていて唐津湾が見えたり徳須恵川の形がはっきり見えたりと、本当に素晴らしい眺めだった。その反面、森の中に鉄塔が建っていたりして、美観を損ねているようで少々興ざめな所もあった。

この日の体験を通して郷土史、また1つの村の歴史の奥深さを知り、またそれに対して魅力を感じることができた。この授業は必ず今後の学問をする上でプラスになるであろう。

 

 

*しこ名一覧*

 ○田畑関係

  北崎…キタザキ(北崎)、フケンタ、フタツスイモン

  六ツ枝…キタザキ(北崎)、ムツエ(六ツ枝)、クボハタ(久保畑)、シカクスイモン

  久保畑…ムツエ(六ツ枝)、クボハタ(久保畑)、ビアノクビ[]→フナバ[]

フナバスイモン

  橋口…ビアノクビ[]→フナバ[]、ヤツエ(八ツ枝)、ハタケダ、フルカワ、

タケアリ(竹有)

  溝添…フルカワ、ミゾゾエ(溝添)、ヤマシタ、ホンノシリ、ホンノシリノミゾ

 ○その他

  大山口…ウマステバ、ショウガダニ、オオギ()ベラ

  北平…ウランサコ、トントンザカ

  高野…サクラヤマ、アマヅツミ

  風呂の谷(→共同風呂があった)…サクラヤマ、タヅツミ、ソウケダメ、ブラジル

  立山…イシナゲ(→採石場があった)、カミナリヤマ、イシナゲバシ(現存せず)

  笹山…ナカダメ

  櫨の谷…ジンパチシンデン、ゼンモンハカ、ブラジル、ムタ、フウフダメ(ムタンタメ)、ウナギダメ

 

*北波多村大杉の水利*

用水源…各所に点在する溜め池

用水名…特になし

昔の水争い…大杉は独自の溜め池から水を引いているので無かった。

給・排水…昔は給・排水とも同じ溝で行っていたうえ、他の田とつながっていたため、自分の都合だけでは給・排水できず、低い土地では田が水没してしまうことも年に1度ほどあった。

今は平成2年の田圃整備の際、給・排水を別々の溝で行えるようになり、田も各々区切られて各自が最適の水量を保持できるようになった。

その他…@徳須恵川は曲がりくねった川だったが、3040年前河川改修があり、現在のような比較的真っ直ぐな川になった。

A大杉の土地は低いため潮の満ち引きの影響を受けていたが、昭和40年代の潮止め工事で影響を受けなくなった。



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