【唐津市北波多村成渕】 歴史と異文化理解A 現地調査レポート 1LT97119 葉玉 諭 1LT97150 宮本 一幸
調査日:平成9年7月6日(日) お話を伺った方:堀田 眞市さん(駐在員、昭和13年生まれ)
北波多村成渕 *しこ名 カマウタ(釜蕃) カイノクチ(貝ノ口) シラキ(白木) ハギノサカ(萩の坂) オオクボ(大久保) ※(これらは我々が持っていた地図の範囲外にあって、他の地図には掲載されているものかもしれない。)
*使用している用水の名前 不明 *用水源 唐の川 熊の峰 *昔の配水の慣行・約束事 各部落内で各自ポンプを使用して川から水を汲み上げる。 (現在ではダムを使用している) *昔の水争いの有無 川の分水点近くで重河内という部落と水利を巡って争う。 そんな中で一人の人物が争いを仲裁し、その功績を称え現在でも石碑が残っている。 *共有地について 山での共有地はないが、墓地は他の部落との共有もある。
<現地行動記録> 我々の担当地である成渕へ到着した。万が一、送迎バスに乗り遅れた場合を考えて公共交通機関のバスの時刻表を見たら、愕然とした。何と1日1本しかバスがなかったのである。田舎へ行くというので、ある程度は覚悟していたが、こんな経験ははじめてだった。 とりあえず村の人達に話を聞こうと思い、最初に駐在さんの家を探すことから始めた。しかし、人気の無い家ばかりで誰も見つけられない。やっと駐在さん宅を聞き出したが、駐在さんも不在。娘さんらしき女性に聞いてみると、その日は町主催のバレー大会だそうで、だから人気がなかったのだと納得した。それから2時間後、ようやく駐在さんに会うことが出来たが、これからバレーの打ち上げがあるということだった。無礼を承知で頼み込み、地図に記載されていないしこ名の話、昔上流の方の分水点付近で水利を巡る争いが起こり、村から出た一人の人物がそれを仲裁して、現在もその功績を称えた石碑が残っている事などを話して下さった。話を聞いている途中、村のおばさん達のご好意で鶏ごぼうのおにぎりをお裾分けして頂いた。最近コンビニのおにぎりに慣れきっていた我々にとって、それは何か懐かしく温か味のある、いわゆる「オフクロの味」であった。本当に涙が出る程美味しかったことを覚えている。 一通り話を聞き終えた後、駐在さんが村の将来について語ってくれた。それによると、まだ土地の買収段階ではあるが、村を貫通して高速道路が開通されるらしい。そして、村の主要な幹線道路はその幅を3倍ほど拡張する、ということであった。更に成渕近辺は元々茶の産地であったが、高速道路沿線に日本一の茶工場が出来ると誇らしげに話してくれた。その横で話を聞いていたおばさんは、「これをきっかけに村に活気が戻ってくれば、若い人達とかも戻って来てくれるかもしれん。」と、かなり期待を込めている様子であった。確かに、高速道路により村は飛躍的に発展し、過疎や公共交通機関等の諸問題も一気に解決されるだろう。しかし、村にある非常に豊富な緑は一気に削除されてしまう。我々は時間が余ったので、川沿いに上流へと歩いて行くことにしたが、その途中途中に聞こえる野鳥の声、空気の香り、水たまりの中を泳ぐオタマジャクシなど、都会に暮らす我々にはとても新鮮で、葉玉君と「老後はこういった所で過ごしてみたいもんだ。」と語り合った。だから、我々としても是非ともこの大自然を残しておいてもらいたい。 話を聞き終え、駐在さんにお礼を言ってその場を離れると、奥の方で本格的に宴会が始まった。他に話を聞ける人を見つけられないまま、我々は前筆した通り上流へ向けて歩いて行った。あまりの暑さに限界を感じた我々は、元の場所に戻ることにした。そしてついさっき、駐在さんに聞いた石碑のことを思い出し、その場所へ直行してみた。だが、見つけたものの碑文が読めない…。カメラなど持ってきているはずもなく、どうすることもできない我々は、つたない絵で書き写すしかできなかった。(原本は佐賀県立図書館所蔵) 来年以降、再び佐賀への現地調査が行われるかどうか分からないが、高速道路ができれば福岡からはものの30分足らずで佐賀へ着くそうなので、もっと快適な旅になることだろう。だがやはり、あの緑は経済的効果よりも後世に与える影響の方が大きいと思われるので、失くしてしまうというのは悔やまれてならない。 |