【唐津市北波多村恵木】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

1LT97152 村上 浩明

1LT97139 堀江 武士

 

調査日:平成976日(日)

お話を伺った方:原田 新治さん(昭和6年生まれ)

 

調査結果

*恵木のしこ名

 ナガタニ、ノナカ、ムコウノサカ、マエコバ、シロバタケ、マルイシガタニ、ナガサコ、ハンガサコ、マルイシ、マルダ、サカリマツ、シイノキダ、クルマキ、センカンネ、

ノドノス、クロギンタニ、ハカノシタ、タキノミ、シタノタニ、ジョウシンダニ、

ウシロノタニ、ジョウノヤマ、フナイシ、ツツミモト、コヤマノタニ、ムコウノタニ、チシャノキダニ

 

*恵木の水利

川から水を引いている。

何でも自然のものを利用するとのことで、川は自由に使えるため、争いなどはなかったという。

 

*恵木の祭祀

毎年105日に明神様を祀る。

この村には原田一族が暮らしていて、明神様は原田家の先祖に関係あるらしい。(現在一軒だけ市木さんという人が住んでいて、105日には市木家も参加している)

 

*行動記録

76日、日曜日、晴天。

私たちは些かの不安を抱きながら佐賀へと向かった。連絡先が無かった為、訪問先が定まっていなかったからである。

行合野橋でバスを降ろされた私たちは、付近の人に恵木までの道を尋ねた。すると驚いたことに、バスも通っていないような山道を30分くらい歩いた所にあるという。私たちは額に汗しながら現地へ向かった。

しばらく山を登っていくと、2本の分かれ道の先に数軒の家が見えてきた。人が住んでいるのだろうかと思うくらい、あたりはひっそりとしていた。とりあえずどこかの家に入らないと仕方ない。私たちは山道に一番近い、原田新治と表札の掲げられている家へ入ってみることにした。

「ごめんください。」しばらく繰り返してみたが何の反応もない。不在なのだろうかと諦めかけたその時、歌声とともに一人の老人が奥から出て来られた。だがこちらには気付いていないようだ。「こんにちは。」と声をかけると、ようやく玄関まで出て来てくれた。それから私たちが歴史の勉強で佐賀に来たことを説明すると、「息子がこの辺の歴史を調べているようじゃが、あいにく今はいないから。」とおっしゃる。その後、村史の書かれた本を持ってきてくださったが、どうやら自分では私たちの役に立てないと思っているらしかった。そこで、私がしこ名について知りたいということを告げると、それなら分かるというような顔してくださった。

地図を広げていろいろと尋ねてみると、次々としこ名をおっしゃった。(それはもうこちらがついていけないほどのペースであった。)全部で30近いしこ名を教えてくださったので、こちらは圧倒されるばかりであった。

その後は急速に話が進んだ。子供の頃、学校にはどこまで通っていたのかという問いには、歩いて下山して、さらに進んだ所(地図にマーカーで黄色にしてる所、地図は佐賀県立図書館所蔵)まで通っていたとのことであった。また、現在は車で下まで降りているらしいが、山道が狭く不便であるらしい。畑では栗やみかんが作られ、自分で売りに行き、自家用で大根を作っている。たけのこも作っているらしいが、中国からの輸入が増えてからは、ほとんど売れないらしい。

堀江が佐賀出身のこともあり、話は些細な世間話まで及んだ。原田さんの息子さんがいらっしゃれば、歴史に関してはもっとスムーズに話が聞けただろう。しかし、研究者の話は、人から聞いたり調査したりした結果の話だ。実際にその時代を生きていた人の話こそ価値あるものではないだろうか。そういう意味で、今回の調査は実りあるものになったのではないかと思う。



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