【杵島郡白石町三町北、馬洗、船野、嘉瀬川地区】 現地調査レポート ST-14 1TE96804 川崎陽平 1TE96806 小池弘晃 1TE96812 高比良健一 (お話を聞かせていただいた方の生年とお名前) 昭和7年 古田さん 昭和6年 外尾勇さん
しこ名の一覧 浦切地、切地、四のつぼ、六のつぼ、十四田、二十四田、三十五、三十六、牟田、内堤、上黒切、下黒切、下牛田、上牛田
井戸名 しょうず、はっちょうばば井関、うまがわ
当日の行動 九大校門集合→JR博多駅→JR肥前白石駅→三町北→農家のおばちゃん家→組合長古田さんの家→馬洗→組合長外尾勇さんの家→嘉瀬川→船野→JR大町駅→JR博多駅→六本松→解散
九大校門集合→JR博多駅 ・7:30 六本松正門集合、自転車で博多駅を目指す。ローソンで朝食を買い、ホームで朝食をとり、人の流れにさからって佐賀を目指す。
→JR肥前白石駅 ・鳥栖で乗り換える。鳥栖フューチャーズのホームグラウンドを横目に、さらに奥地を目指す。
→三町北 ・駅からでて、まず記念撮影。いい気分で出発するが日照りがはげしく、汗だくになり、はやくもつかれ、暑さにたえきれず、副島Tシャツをぬぐ。近くで仕事をしていたおばちゃんにちょっとした案内をうけ、川釣りをしていたおじちゃんに応援され、草刈りをしていたおじちゃんに、少ししこ名とだいたいの組合長の家の方向をおしえてもらう。
→農家のおばちゃん家 ・とりあえず、見つけた家を訪問し、ちょっと話を聴く。ここでもしこ名は少ししか分からず、残念だったがおばちゃんから麦茶とお菓子をごちそうになり感動。厚く御礼をして組合長さんの家へと向かう。
→組合長 古田さんの家 ・古田さんは仕事中にもかかわらず、快く相手をしてくださった。去年も先輩が来たらしいとのこと。それで多くの説明はいらず、スムーズに調査が行えた。黙々としゃべる古田さん。聞き入る4人。ここで色々な情報を得ることができた。またここでもジュースとお茶をいただいた。そして組合長の外尾さんに連絡をとってもらうと、車で迎えに来てくれるとのこと。本当にこの町の人々は優しい。しばらくして外尾さん登場。「女の子やと思っとったんに」と少し残念そうではあったが、快く家まで連れて行ってくれた。
→組合長 外尾さんの家 ・まず家に上るとパンをいただいた。その後、なかなか本題に入ることができず、4人は外尾さんの話に愛想よく、ぎこちなく答えた。しばらくしてやっと本題に入ったが、しこ名は今では全くと言っていいほど残っていないらしく、少ししか分からなかった。そこで、この辺に田んぼのしこ名を知ってそうな人はいないかとおたずねしたが、自信を持ってそんな人はいないと言われた。船野に栗山よしおさんというこの辺の歴史に関しては知らないことがないという歴史学者がいるが、その人も田んぼのしこ名は分からないだろうと言われた。しかし、ここであきらめることができない4人は、もしかしたらという希望を胸に、栗山よしおさんに電話をかけていただいた。ところが、その栗山よしおさんは、この辺では超有名な生き字引で、毎年夏休みになると色々な大学からこのような頼みがあり、うんざりしているようで、ことわられてしまった。
組合長 外尾勇さんの家→嘉瀬川 ・車で、嘉瀬川まで送ってもらい、嘉瀬川まで来た。その後何軒か訪ねてまわったが、知っている人を見つけきれず、やむをえずあきらめる。
嘉瀬川→船野 ・しょうがなく船野まで歩いて行ったが、ここら辺では栗山さん以外に知っている人がおらず、ここもしょうがなく、調査を断念する。
船野→JR大町駅 ・船野から駅まで徒歩。とにかく長い道のりをへて駅に到着。その後、疲労のあまり駅で1時間あまり寝る。JR博多駅に無事到着。
水利その他の報告 この辺ではおととしの旱魃の時は枯れた水田もあったらしいが、地下水を利用した人は豊作だったらしい。水路一つ隔てて枯れた水田や豊作の水田があったらしい。枯れた人も保険制度があり、11万もらえるらしい。この地方で深刻な問題は、地盤沈下で地下水のくみ上げ過ぎで、非農家の方から非難があるらしい。この町では圃場整理以前は小田などもたくさんあったらしいが、それもなくなってしまったらしい。後、複雑な問題で、早場米の人と普通に育てている人の田が隣り同士で、水加減の事で小さな口論があるらしい。古田さんは、同じ時期に同じ作柄を作るのが理想的だとおっしゃっていた。ここでもやはり後継者不足だというのには、日本の農業の行く末の暗さを感じさせられた。 |