【杵島郡白石町西郷地区】

歴史と異文化理解 現地調査レポート

1DD96030  中村健

1DD96026 中川久子

聞き取りに協力頂いた方

 大串松次さん 大正12年生まれ

 

<しこ名一覧>

旧六角村

 イッポンスギ(一本杉)

 ニホンスギ(二本杉)

 ニシシンガイ(西新開)

 ヘイシンガイ(丙or閉新開)

 ハッタンゴモリ(八反篭)

 フクロガラミ(袋搦)六角川沿い

 イッポンマツ(一本松)

 ニホンマツ(二本松)

 イマイズミシンガイ(今泉新開)

→この呼び方よりもっと以前の呼び方及び他の呼び方はないらしい。その地域の古老たちもこの呼び方をするらしい。

 

<田畑>

旧六角村西郷

 テランウラ(寺裏)

 ムランシタ(村下)

 ムラダンナカ(村田ん中)

 ツクケ

 アゲタ

 オンガンサンガラン

→しこ名とは違うがその地域の人たちだけが使う呼び方。

 

[村の水利について]

水路は県の管轄で、すべて県がうけおっていた。

 

[村の耕地について]

場所によっては無料であった。

補助整備負債は国が50%、県が25%、農家の人25%の負担となっている。農家の人にとって25%の負担は大きく、年2回の支払いで25年間にも及ぶということだった。昔は湿田ばかりであったが、14、5年前くらいから大部分が乾田になった。化学肥料が入る前では1反当たり8俵。現在では1反当たり10俵の収穫となっている。現在でも使用されているリュウアン(石炭からとれる化学肥料の一種)は昔から使用されていた。化学肥料が使用される以前の肥料としては、

・イワシの粉

・苅敷

・川に生えているヨシという草(青いうちにまく)

・堆肥をワラとまぜたもの

等が主として使われていた。

 

[村の道]

東照寺の並び10けん北小路。その他に、西小路、東小路、南小路。

※図省略(入力者)

 

[村の祭祀]

*六角村七夕まつり

 東照寺がおこなう祭り。現在はもう行われていない。

*アダチサンまつり

 現在も行われており、毎年8月24日にある。お地蔵さんをまつるおまつり。西郷、東郷、オオトモ東郷が一体となって行われるおまつり。子供がビールや氷などを売る売り子になり、大人がそれを買うのがならわし。子供が中心というところがポイント。

*六角神社まつり

 毎年10月25日に行われている神社が行っている祭り。

 

(水路の補足)

水路はホウリと呼ばれていた。

西郷、東郷、北郷、南郷、西郷袋の5班で利用。西郷に関していえば、特別な呼び方はないということだった。

 

[村のこれから]

補助整備負債の負担が年2回、25年間と大きい。消費者の購入価格は高くても、手元に入る金額は少ない。(流通会社を通すから)農業機械が高価である。後継者難。等々問題が多い。

 

[最後に]

7月18日、まず白石町役場に行った。事情を説明し、昔の事に詳しい方を2人紹介していただき、車で向かった。大串菊市さんと、大串稔昭さんである。まず、西郷袋の大串菊市さん(90才)宅へ向かったが、残念ながら留守であった。気をとりなおして、西郷の大串稔昭さん宅へ向かった。役場の方の話では、たまねぎ小屋にいらっしゃるとのことで、東昭寺前のたまねぎ小屋を探していくと、ご夫婦でたまねぎの仕分けをしてあった。実際のお話を伺ったのは稔昭さんではなく、松次さんであった。最初は、少しだけ怖い印象をうけたが、快く話を聞かせてくださった。白石町は、田んぼが多くとてものどかなところで、地元の人も暖かった。道ひとつ聞くにしてもとても親切で、とてもいいところだった。

 大串松次さんの話では、後継者難の問題は深刻らしい。土地の補助整備負債の負担は大きいし、期間も長いけれど、後継ぎがいないこと。農家の数も減少しつつあることなど色々と大変なことが多いとのことだ。

昔ながらの呼び名(田んぼや畑の名前)も、今ではあまり呼ばなくなっていたり、昔あったおまつりも今はなかったりと私達自身も考えさせられることが多かった。やはり、代々うけつがれてきたものが、なくなっていくのはさみしいものだ。

これも、戦後の急速な近代化のあおりなのであろうか。大串菊次さんがご在宅であったなら、また別の話を聞けたであろう。とても残念であったが、仕方ない。

 今回の調査で協力いただいた方には、本当に親切に接していただき、都会で忘れられつつある人の暖かさに触れることもできた。遠かったし、とても暑かったけれど、非常に有意義であったと私達は実感している。



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