【杵島郡白石町岡崎、小島地区】 現地調査レポート 調査した学生 1EC97190 荒場 新 1EC97200 大石英雄 岡崎地区聞き取りした方 東島忠太さん(大正12年生まれ)
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取水時の取り決め キシマ水路よりも北にある田畑はキシマ水路から、焼米水路よりも南にある田畑は焼米水路から水を取らなければならない。
一日の行動記録 私たちは六本松を午前8時頃出発し、10時に岡崎に到着した。しかし、道端で村民に出会うこともなく、留守の家も多かったので調査が思うようにはかどらなかった。 30分程して、久保さんの家を訪ねたが、この土地に住み始めてから38年しか経っておらず、岡崎について詳しくはなかった。 橋口さんという長老を紹介してもらい、訪ねたが、あまり有力な情報は得られなかった。ここまでで、すでに2時間が過ぎていたので、大町駅で昼食をとった。 大町駅付近は、駅伝のランナーが大勢走っていた。その後、道に迷い、偶然出会ったおばさんに話を聞いたところ、神辺公罠館で老人会があっていることを知り、公民館へ直行した。公民館に着くと、老人会の皆さん(2、30人位いらっしゃった。) に話を伺うことができた。 代表者の東島忠太さん(68歳)ほか、数人に圃場整備前のことを色々と伺った。時間がもうなかったので、ほかの村に調査に行っていた仲聞と6時前に合流し、廻里に向かった。
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古老に教わったこど この前の干害のときの対策法 多田の北の方……個人でポンプによって水を引いていた。 日の目……船野ダムによって水の供給があった。(12万トンずつ流す。) それ以前の対策法 多田の北の方……ナガイケのため池と焼米のため池の水源を利用した。 17町が5分割され、1日に約3町分ずつ供給された。 日の目…近くのポンプ場から水を汲み上げ自分の田まで運んでいた。 しこ名 サキナシの由来 そこで川がきれてしまっているので、川の先がないという意味で、サキナシとついた、と教わった。
一日の行動記録 朝八時くらいに福岡を出たが、佐賀の白石町に到着したのは、午前十時をまわっていた。とりあえず6人を3班にわけ、我々二人は多田の方へ行くことになった。 多田とはいっても想像以上に広く、まず南部を調査することにした。一時間ほど歩いたところで、ブタに出会った。我々二人は、その大きさに思わず閉口してしまった。もう大きさ的には、牛と比べても遜色ないと思った。「何かくれ」という顔をしていた。生まれてはじめてブタというものを見て、興奮してしまっていた。 ブタをしばらく見て、さらに歩いていったが、不在の家が多くなかなか調査が進まなかった。 昼前にやっと物知りな老父に出会った。竹下竹次さんという方だった。話好きの方だった。田畑のしこ名のこと以外にも色々なことを教わった。我々はその博識ぶりに驚いた。午後、我々二人は多田の北の方の調査を行った。わらぶき屋根の家が多く、そういう古い家に照準を合わせて、物知りなお年寄りを探してまわった。 始めに訪ねた家はお年寄りがいらっしゃらず、お年寄りがいらっしゃる家はどこかと尋ねると、もう一つのわらぶきの家を教えてくださった。その家には、八十代くらいと思われるおばあさんがいらっしゃったが、詳しいことまでは覚えていらっしゃらなかった。「詳しいことは前田さんに聞きなさい。」と言われたので、前田さんのお宅を訪ねた。 前田さんはトラクターで仕事申で、忙しいのにも関わらず、詳しく親切に教えてくださった。
白石町小島 小島地区調査した学生: 1EC97192飯笹暁士 IEC97204大西達哉 聞き取りした方:松尾一弘さん(昭和18年生まれ) しこ名一覧
一日の行動記録 まず、私たちは、小島の南の方に行った。その付近の農家は、最近、雨続きで、作業ができなかったらしく、その日は快晴だったので、男手がほとんど田畑に出ており、留守が多く調べられなかった。残っておられた女性の方に尋ねてみたが、知っておられる方は、いらっしゃらなかった。 次に、小島城跡のまわりで調べることにした。だが、ここでも留守の農家が多く、とても困ってしまった。ただ一軒だけ、在宅の家があったのでそこで聞いてみると、まだ若い方だったが、聡明な方で、小島のことをとてもよく知っておられた。しかし、その農家は家畜が主だったので、用水の名前や、水争いの時のこと、昔の干害の時のこと衷では知っておられなかった。
有明町廻里 それぞれ村の調査が終わった後、皆で集まり、廻里へ向かった。廻里に着いたころには、すでに6時をまわっていた。辺りもだいぶ暗くなっていた。2、3軒回ったが、どこの家も、男手が出払っており、詳しい話が聞けなかった。そうこうしているうちに、7時をまわり、真っ暗になってしまった。こんな遅くに家を訪ねるのは、失礼だと思い、しこ名を一つも知ることができなかったが、やむなく調査を断念した。
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