【杵島郡白石町廿治移地区】 現地調査レポート 1LA97288吉本真祐 1LA97278吉本英樹 話者:北村好治さん(大正12年生 74歳) 調査日:1997年12月13日
私たちがうかがった北村さんは、現在老人会長をなされており、昔は民生委員という村の役職に就かれていた。白石町では北部と南部で区長を四年ごとに交代しており、他の役職(民生委員、農業委員等)も任期は四年となっているそうだ。
<しこ名について> 北村さんの話によると、この一帯ではしこ名はあまり日常的に使われておらず、一本楠や一本柳というしこ名を覚えていらっしゃったが、どこを指すかはっきりと覚えていらっしゃらなかった。 戦前と昭和54年にそれぞれ圃場整備がこのあたりで行われており、広域農道や県道福富・武雄線などができ、水田の形などが大きく変化したためだと思われる。 北村さんは昭和54年の土地改良、圃場整備に同行しており、測量等に付き添われたそうだ。圃場整備の歳に作成された地図には、前述した一本楠や一本柳といった小字が記載されていたが、小字自体も使用されていないそうだ。
<村の水利について> 現在、この地域の農業用水は地下水と杵島山上流にあるダムから取っている。白石町北部には六角川があるが、海苔の養殖をしている漁業者との間で水利についての争いが起きており、利用することができない。 この地域は農業用水、飲料水ともに昔から基本的には地下水を利用していた。戦前は各家庭に個人井戸があったが、昭和20年に地下水の水道施設ができた。個人井戸は使用されなくなった。しかし、地下水の汲み上げ過ぎにより、毎年平均10cmの地盤沈下が起きており、山手の方は特にひどかった。その地盤沈下を防ぐために、嘉瀬川ダムの水を白石町に引く計画があり、水田には既にそのためのパイプが配置されている。 杵島山ダムの完成により、今年はあまり地下水を汲み上げていないので、地盤沈下は発生していないが、平成6年は干魃のため地下水を汲み上げすぎて、家屋が傾くほどの激しい地盤沈下が発生した。 この地域の地下水は4箇所のポンプから汲み上げており、14,000人に供給されている。 農業用の水路に関しては、圃場整備の際に新しくできた用水路もあるのだが、柳堀や楠堀と呼ばれていた水路のように失われてしまったものもあるという。農業用水は常時使用することが出来るわけではなく、各部落の境界で時間割が決められている。例えば福田地区の水田は○月○日の午前10時〜12時まで。廿治地区は○月○日の午後12時〜14時までといったふうである。 白石町の特産物であるレンコンは、栽培するのに大量の水を必要とし、溜池のような場所で栽培するので水田以外にも、この地域では大量の農業用水を必要とする。私たちが見回っただけでも、レンコン畑は数多く見ることができた。
<農業について> ・ 米 ・ レンコン ・ タマネギ ・ イチゴ ・ キュウリ ・ アスパラ ・ ナス ・ ネギ ・ カンラン(キャベツ) ・ ホウレンソウ ・ レタス この地域は稲作が主流であり、広大な水田が広がっている。前述したように平成6年の干魃の時は、地下水の汲み上げで地盤沈下の代償がついたが、乗り越えることが出来た。しかし、昨年は稲の苗木?を作る時に雨が少なく苗木?が育たなかったために米が不作であった。この地域の稲作はごく早稲が多く、お盆の時期に稲の刈り入れを行い、その後、タマネギ、麦、カンラン(キャベツ)、レタスなどの二毛作を行っている。麦に関しては雨が多いときだけ作っているのだが、今年は雨のため不作ということだ。タマネギも今年は雨のため不作ということだ。 白石町の特産物であるレンコンは福吉地区に多いのだが、既にレンコンは収穫されており、レンコン畑には作業するための船だけが残されているだけであった。 私たちが北村さんのお話をきいている中で、キャベツのことを「カンラン」と言っているのが印象的であった。稲はごく早稲なのでもちろん収穫が終わっており、私たちがみることが出来たのは、ビニールハウスとタマネギやネギであった。 この地域は昔からの稲作地帯で、専業農家が多かったが、近年は兼業農家がほとんどになっている。更に若者が農家を継ごうとせず、後継者不足に悩まされている。兼業農家が多くなった理由は、農業だけでは経済的に苦しく、生活していけないためだそうだ。そのため地元の農協等に勤める人が多いそうだ。 白石町では田植えの後と稲刈りの後の2回祭りが行われている。田植えの後の祭りは「豊作祭り」と呼ばれ、その年の豊作をお祈りする祭りである。稲刈りの後の祭りは特別な名称はないが、その年の豊作を感謝して来年の豊作を祈る祭りである。祭りの主催は白石町の北部と南部が毎年交代で行っている。 白石町ではこれらの祭りの外、12月にも特別な名称はないが、昔から行われている祭りがあるそうだ。北村さんも祭りの準備があったそうなのだが、私たちのために準備を抜け出して下さり、お話をして下さった。
<道路について> この地域は過去に何回も圃場整備や土地改良が行われており、大幅に地形が変化している。そのため、昔の隣の村に行く道などの古い道を尋ねたが、ご存じでなかった。その代わり圃場整備による新しい広域農道や県道福富武雄線が作られた時のことはよく覚えていらっしゃった。私たちが白石町を歩き回ったことは、あぜ道はほとんど見られず、アスファルトで舗装された道路が多く、区画整備された直線の道がほとんどだった。
<感想> 12月13日土曜日に自分たちの車で白石町を訪れた。前日に区長に電話をしていたので、最初区長さんを訪ねたが、その土地の人に直接聞いた方がよいと言われたので、何も情報を得ることはできなかった。 大戸下と東郷移を訪れたが、十数軒回ったが葬式と祭りの準備のため話を聞けるような古老はいなかった。仕方なく廿治移西に行き、北村さんに話を聞くことができたが、一番聞きたかったしこ名についてはご存じではなかった。 白石町は比較的新しいアパートや家が多く、住宅地図とかなり違っていたので、古老を見つけるのに苦労した。また207号線が近くにあり、交通量が多く、結構開発されているという印象を受けた。だから昔のことを聞き出すのは難しいだろうと思う。 北村さんの話を聞いた後でもう一度調査地に行ったが、まだ話を聞けるような方は帰っていなかった。日も暮れ始め、これから話を聞くのはご迷惑だと思ったので、仕方なく帰った。
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