【杵島郡白石町宮田地区】 現地調査レポート 1AG96007 有富 静 1AG96019 岩永真由美 情報提供者 永尾昭一様 66歳(明治から区長をなさっている家)
○しこ名
○用水源名
○村の水の利用の仕方について ・北水路と南水路から水を取り入れている。 ・有明村の一部と共有している。 ・割りふりの時間帯(配水時間) 北水路 1、内堤 9月26日9:10 2、馬洗 9月26、27日10:00 3、三町 9月27日8:20 4、船野 9月27日7:10 南水路 1、工区 18:10 2、有明・久治 12:50 3、小島 10:20 4、嘉瀬川 6:50
○水争い…内堤が水を取りすぎたため馬洗と争いになった。 ○しいどの名前はしこ名と同じ。 ○井樋番は配水時間と同じで区から給料はでていた。 ○ごみや井樋の所有権は部落ごとにある。 ○井樋は区ごとに24時間など時間を決めて区切られていた。(※区分けは堀でされている) ○通について ・「〜のうて」という通はない。(隆城が近くにあったためらしい。) ・古い通で何を運んでいたかは不明。 ○田の収量について ・すべてが乾田である(差異なし) ・戦前の収量 300〜480kg、戦後の収量 540〜600kg ・戦前は肥料に大豆の油をとったカスと堆肥と人が食べない魚(にしんカス)を使っていた。 ・化学肥料が入ったことにより収量が上り、労働が軽減された。 ○2年前の水不足のときの対策 ・すでに稲はうえてあったので、アオを六角川から権利をもつ“岡崎”に頼みわけてもらった。 ・30年前でも同様にするだろうとのこと。 ○村のこれから ・後継者がいない(一家残らず兼業)なのですたれていくだろう。 ・法人化するのでは(?)
情報提供者 永尾昭一 66歳(明治から区長をなさっている家)
一日の行動記録 8:15 学校に集合 8:30 出発 11:50 白石町の県道久間・白石線の三町北あたりでバスを降りる。 12:00 光明治より100m手前で、地元のおばあさんに道を聞く。 12:10 宮田に着く。 着いて最初に目についた大きい家をたずねてみる。おばあさんがでてこられて、しこ名について尋ねると、よくわからないから待っていてくれとおっしゃり、家の奥から別のおばあさんをつれてこられ二人で話し合ってらっしゃったが、よくわからないからすぐそこの区長さんをやってらっしゃる永尾さんの家を訪ねてみろとおっしゃったので、永尾さんの家を訪ねることにした。 12:20 永尾家につく。 たずねてみると、区長さんをなさっている方の娘さんとそのお子様しかおられず、区長さんは田へ仕事をしに行かれていて留守であった。出直すと主張したが、帰ってきてもまたすぐにどこかでかけるかもしれないので玄関の前でずっと待っていたら永尾昭一さんがトラクターに乗って帰ってこられた。 12:30 お昼ご飯の時間なので出直そうとしたが、お昼からすぐでかける用があるとのことで、家に招かれた。 12:40 部屋の一室に招かれしばらく待っていると、永尾昭一さんが2人のお孫さんと一緒に入ってこられ、お話しを聞くことにした。永尾さんの家は3代区長をやっていらっしゃる家で、官田に関する資料をいろいろもっていらしたが、しこ名に関するものはないらしく、あまりしこ名については多くのことは聞けなかった。水路のことを聞くと、現在でも使っているということでいろいろ聞くことができた。まず、配水時間については現在も昔も変わっていないということや、水路を有明村の一部と共有しているということや、水路の都合により配水順が決まるため、水を多くとる所がでて水争いがおきたことなどいろいろ聞けた。しいどの名前についてはしこ名と同じであること。また井樋番は配水時間と同じで、区から給料がでていたことなどや、あと通について「〜のうて」という通は近くに隆城が近くにあったためないことなど、聞かなければわからないことなどたくさん聞けたので行ったかいがあったなと思った。いろいろ聞き、最後に今後宮田の農業はどうなるかと聞いたとき、後継者もおらず、一家残らず兼業農家なので、すたれていき法人化していくだろうとおっしゃられたが、たしかに私が調査しに行った時、若い人には出会わなかったので、そうなるかもしれないなと思った。だいたい聞くべきことすべてを聞いて、お礼を行って帰ろうとしたとき永尾さんが、どんどん昔のことを知っている人が少なくなっている今、このような調査をすることはとても意義のあることだと思う。がんばってくださいということをおっしゃられたのがとても印象に残りました。 13:30 お昼ご飯を食べに近くの神社へ行く。 15:30 もとの場所に戻るため神社を出発。 15:40 バスを降りた位置につく。 16:30 バスに乗る。 19:30 学校に着く。 |