【杵島郡白石町北川、五反田地区】

〈北川・五反田地区〉

<担当>

1LA9706小野博義

lLA97074  片山聡

1LA97077兼行浩平

<聞き取りをさせていただいた方>

吉原久さん 昭和3年生まれ

他の家もまわってみて、何人か話を聞かせてもらったが、吉原さん以上に詳しい方は、いなかった。

 

〈一日の行動記録〉

(AM9:00)天神を出発

(AM11:30)現地に到着

(PMl2:30)一緒に行った遠江の下・太原下担当の友達と別れ、聞き取り開始(昼食をとり、場所を把握するのに手間取ってしまった。)

(PM12:30-PM2:00)家をまわって話を聞かせてもらうが、思ったような成果があげられない。

(PM2:00)超光寺というお寺に行って、現地の歴史に詳しい人についてたずねると、吉原久さんを紹介していただいた。

(PM2:15-PM3:30)吉原久さんにお話をきかせていただく。

(PM3:30-PM5:00)他の家にもまわってみるが、吉原さんより詳しい方は、いらっしゃらなかった。

(PM5:00)遠江の下・太原下担当の友達と合流し帰路につく。

(PM8:00)天神到着

 

〈しこ名一覧〉

北川

           小字       しこ名

              二本楠   

              三本楠   

              四本楠   

五反田

田畑       小字       しこ名

              二本榎   

              三本榎   

お寺の方に、辺りの歴史に最も詳しい人として、現地の最占老のひとりでいらっしゃる吉

原さんを紹介していただいたわけだが、その吉原さんに、例えば「しこ名というのですが、三本楠の中にもっと小さな単位で地名はありますか? 田んぼにつけられた名前や、通称の地名、この辺の人の問でのみ通じる伝統的な地名、地図にのってない地名、何でも結構です。」と尋ねてみても、「私が知る限りでは、三本楠より小さな地名はなく、この辺りでは、あなた達が調べているような通称で用いるような地名も存在しない。」ということであった。

他のものについても順次尋ねていったが、それらも存在しないということだった。それは、辺りの家々をまわった時も同様であった。

 

<水利>

水利については、様々なことを教えていただいた。

 

 

用水源

共有している他の町

永池という3ヶ所の溜池

北方町の一部と福富町の一部

          

昔の配水の慣行・約束事

昔の水争いの有無

永池の水は、各村の国の面積に応じて配水する。

 

他の村との昔の水争いは、やはりあったそうである。その原因は、どの村がどれくらいの割合で水をとるかについてだったそうである。そのために左にあげたような配水についての慣行・約束事ができたそうである。

 

近くに、六角川が流れているが、塩水であるため、使用できないということであった。永池は、そのために作られたのである。

 

(1994年時のことについて)

1994年は現地でも水不足になり、それをのりきる術もなく、不作になってしまったそうである。時間給水はあったそうである。また、犠牲田を作ったり、ほかの作物に切り替えるといったことはしなかったそうだ。また、普段の生活用水としては地下水を利用しているので、とくに問題は生じなかったそうである。

 

<村の過去について>

50年前の村では、米以外の現金収入として、麦、玉ねぎ、レンコンなどを作っていたそうである。なかでも、レンコンは特に重要な現金収入源だったらしい。

 

<昔のほかの村との交流について>

外の村との交流は、古道を通じてよりもむしろ、近くを流れる六角川を通じて行われることが多かったそうである。六角川は交通手段としてや、産業に必要な様々な物資を運搬するために用いられたそうである。その六角川を通じて現地には、石炭などが運び込まれたそうである。

 

<実際に調査に行っての感想>

辺りの家々をまわり、お年寄りにたずねても、「あなた達が調べているような通称で用いるような地名はこの辺ではない。」と言われ、調べようがなかった。しこ名がないところもあるのだろうか。



戻る