【杵島郡白石町東深通・深通・郷移東地区】 現地調査レポート 1LA97241■松石隆太郎 1LA97266■ 森岡 智 提供:鶴田文雄さん(区長) 昭和4年生まれ68歳 北村好治さん(老人会会長) 大正12年生まれ74歳 片渕研吾さん(区長) 大正12年生まれ74歳 調査日:12月13日(土) 〈行動記録〉 9:30久留米駅ロータリー集合 10:00出発 11:30白石町到着! 二手に別れる 11:45アポイントメントをとっておいた区長さんの家を伺うが留守で途方に暮れる(実は葬式に出ていたそうだ) 12:10 2〜3軒回ったが、あまり情報が得られなかった 12:30白石小学校で偶然分かれていたチームと出会い、そこで昼食をとる。 13:10 2チームで老人会会長の家を伺う。お茶とたくあんを頂く。 14:20区長さんの紹介の家を伺ったが留守。 15:30再び区長の家を訪ねる。圃場整備の地図を頂いてお話を聞く。 1600 隣の家を訪ねる。調査終了。 水利 六角川に関しては漁業者が漁業のりの養殖のために住民に利用させず多少争いがあっているが、その代わり住民は基本的に地下水の水を利用している。(昔は個人井戸であったが、昭和20年頃に水道施設整備が行われ、地下水の利用となった)また、飲み水も地下水でその水源地は何ヶ所かあるが、深通・東深通については福田北ということで同じ水源地を利用している (その場所は地図に"ポンプ室"と記入してある) 。しかし、余りに地下水に頼りすぎると地盤沈下が起こってしまうので、それを避けるためにキホ山のダムから時間を決めて部落に水を引いている。 現在嘉瀬川ダムの水を白石町に引く計画が立てられていて、すでに直径2mのパイプを田 に配置している。(しかし、まだ利用されていない)そして、4月〜9月には六角川を塞き止めて、淡水化して白石平野にする計画がある。 平成6年の干ばつのときには、農業用水も兼ねて地下水をくみ上げすぎて、10cm以上の地盤沈下が起こり、山手の方ではかなり多くの家屋が傾いたそうである。 名前 白石町は昔、六角村という名前であり、深通・東深通は、福田北という名前であった。 震業 $若者が跡を継いでくれないのが、悩みの種だそうである。 $兼業農家が大多数を占めている。 $去年は天候が悪く、稲の株が小さく育ち穂数が少なくて困ったそうだ。 〈農作物〉 (主)レンコン {早稲のあと}レタス・玉ねぎ・麦 その他 ほうれん草・カンラン(キャベツ) {ハウス}イチゴ・キュウリ・アスパラ・ナス @最近、天候不良で不作気味だそうだ。 祭り 年2回、4月と12月に祭りがあるそうだ。 ・4月……豊作を祈願して。 ・12月……収穫を祝って。 道 二度にわたる圃場整備事業のため、道がかなり変わっており、そのため区長さんも昔の道はあまり覚えていないそうだ。(第1回戦前。第2回昭和54年) しこ名 今までに自分は使った覚えがないということで、誰一人としてわからなかった。皆、小字や……の〜番地と言って区別していたそうだ。(若い人が多いため?) 〈感想〉 私たちは調査に行くにあたって、バスで行かずに自分たちの車で行った。事前にアポイントメントをとったが、不幸にも村の方が亡くなった葬式の日と重なってしまったことから、誰もいらっしゃらず、なかなか思うように調査が進まず大変困ってしまった。 仕方なく古老のいらっしゃいそうな家を探して尋ねてみたがやはり留守だった。(村のほぼ全員が葬式に出ていらっしゃってとても驚いた)葬式の場に伺うわけにも行かず、取り合えず昼食をとることにした。そこに偶然、隣の地域を調査していたチームと会い、経過を聞いてみたところ向こうも思うようには進まないということだったので、一度共同で調査してみようということになった。そうして次に老人会会長の家を尋ねたところ運良くいらっしゃって、しかもとても親切な方で私たちの調査に快く協力してくださった。 その後、再び区長さんの家を伺うといらっしゃって、お話が聞け、そして区長さんが昔使っていた地図をあげると聞いて見せていただいたところ、どうもそれは役場の地図のようで期待していたしこなは載っていなかった。それでも粘って、何とかききだそうと何度も説明したりしたが、「そういうのは使った覚えがない、もし使っていたとしても知っている入はいないだろう」ということだった。その後も何人にも尋ねてみたが結局わからずとても残念な思いで一杯だった。 しかし、この経験は決して無駄ではないと思う。学校の中で教えてもらうのではなく、いわゆる人生の大先輩として様々なことを教えていただけて、調査内容以外のことも、とてもためになったと感じた。 |