【唐津市山田】

 

1LT97084 田中瑠美、1LT97107 長塚昌子

 

 

<話者>

谷口 勉さん(昭和10年生まれ、区長さん)

谷口靖男さん(昭和10年生まれ)

吉田治弘さん(昭和11年生まれ)

中島正種さん(昭和27年生まれ)

 

私達が調査した山田村では、畑をつくることを目的とした焼き畑や切り野は行われていなかった。しかし、家のかやぶき屋根をつくるための草や、牛に敷かせるための草(牛に敷かせた後は、堆肥としてまいた麦の上にかける)を確保するために、共有山などを切り開き、年1回野焼きを行っていた。

 山田村の水田にかかる水は、黒龍留・沢龍留・丸船留の3つの溜め池から引水されている。山田村は山に囲まれており、水源も多いため、水源権が強く、3つの溜め池から引水された用水はすべて山田村だけで使うことができた。留め水を水田におとしたら、2人の「水番(スイバン)さん」と呼ばれる、いわば水田の水の管理人さんが水のたまり具合を見てまわる。水争いは、他村とはなかったが、山田村内で個人個人の間に大なり小なりあった。

1994年(平成6年)の大旱魃の際には、下に流れていく水をまた上にポンプアップして水をまかなっていた。またその後、沢龍留の堤防の高さを上げて水を増やした(「新留(シンダメ)」と呼ばれるようになる)。しかし、昔から山田村民の間には、「留め水がなくなったらお手上げ」という覚悟があり、それ以上の対策は講じなかったそうだ。もし、40年前の出来事だったら、留め水に依存していたため、米はあきらめるしかなかっただろう、ということだった。

 山田村は、お米は大量にはとれないが質が良く、鬼塚校区内で一番米がおいしいと言われるほどであった。村内の水田では、場所によって差があった。化学肥料が入る前の段階では、肥料として堆肥と人糞を使っており、この当時では良い田で6俵、悪い田で半分の3俵ほどであった。化学肥料を使うようになるのと同時に機械化も始まり、生産高は良い田で8俵弱ほどになった。しかし、乾燥機導入後(導入前は天日)、米の質が落ち、あまりおいしくなくなった。

また入り会い山はあり、その山からかやぶき屋根に使う草などを確保していた。

山田は坂道が多かったため、山から草を取ってきたり、稲を運んだりするために、「どんじゅう車」と呼ばれる山田村特有の荷車が使われていたそうである。

 

 

◎祭祀について

 山田村の山田天満宮には氏上様が祭ってあり、昔は祇園山笠(「だし」と呼ばれた)があった。しかし、大正か昭和の初め頃、お宮や山笠が火事で焼失してしまい、祇園山笠はなくなってしまった。他に天満宮のお祭りには、無病息災を祈る春祭り・夏祭り(「むしぎとう」と呼ばれる)・秋祭り、そして正月前には「通夜」と呼ばれる、氏神様を迎えるお祭りがあった。「通夜」では一晩中火を燃やし通して、酒を飲んで夜を明かす。しかし、テレビの普及にともなってなくなっていった。つつみが滝では観音様の命日(「おこもり」と呼ばれ、夏の18日)にお祭りがあった。また、夏には雷祭りというのもあった。他に山田村のお祭りとして、もぐらうち(正月14日〜15日)、いのこ祭(11月)や牛にわなどがあった。いのこ祭とは、学校に行っている子供が火をたいて、かずらをまいた石(これが“いのこ”)をつく。そして、家々をまわり、マンジュウやモチをもらうというものである。また、牛にわとは、牛の神様の祭りで、牛の疲れをいやすためのものである。この祭りでは獣医さんが来て、牛の体を拭いたり、つめを切ったり整えたりしていた。それから、1つの家に若者が集まって泊まり、ニワトリどろぼうやスイカどろぼうをしたり、よばいをしたりする、「青年クラブ」というユニーク(!?)なお祭りもあったそうだ。これらの祭りの中で今も行われているのは、年3回の、春祭り・夏祭り・秋祭りだけである。家でお祭りする神様には、お稲荷様・観音様・火の神様などがあり、盆の14日には盆踊りをしておいわいするそうだ。

 余談かもしれないが、山田村には昔からスポーツマンが多く、特にマラソンが盛んだったそうだ。なんと応援団歌まであるそうです(歌ってくださいました)。

 

 

<お話をしてくださった方々>

谷口 勉さん(昭和10年生まれ、区長さん)

谷口靖男さん(昭和10年生まれ)

吉田治弘さん(昭和11年生まれ)

中島正種さん(昭和27年生まれ)

 

 

<しこ名一覧>

田畑

小字峠のうちに

サルコバ

小字平原のうちに

ナカグチ、フレデグチ

小字丸船のうちに

ツジ、メクラザコ

小字白岩のうちに

ヨシガサコ、コッポダキ、ボードイシ

小字柳谷のうちに

モーセンガクラ、クズムネ、カッキダ(柿田)、セキベットウ

小字西のうちに

ニシノウエ、タルコバグチ

小字白木のうちに

ヤマグチ、イチノツボ、ヤマンシタ

小字寺部田のうちに

テラベタ、ミヤノマエ

小字原部田のうちに

ヤ〔カヵ:入力者注〕キノコバ、カンノンドウ

小字引地のうちに

サウケ、イマバタケ、ユヅツ

小字日の谷のうちに

フカサコ、エボンシタ

小字四ッ枝のうちに

ナカノ、マエダ、クシキ、タノナカ、ミヤンマエ(門田のタンナカともいわれる)

 

小字田中のうちに

 

小字田六のうちに

 

小字横尾のうちに

 

小字干田島のうちに

 

ほか

小字峠のうちに

 

小字平原のうちに

 

小字丸船のうちに

 

小字白岩のうちに

タカタカビラ(山)、ウランタニ(谷)

小字柳谷のうちに

ナカノ橋(橋)

小字西のうちに

ツツミガタキ(滝)、タルコバ坂(坂道)

小字白木のうちに

 

小字寺部田のうちに

モンデンバシ(門田橋)(橋)

小字原部田のうちに

フカサコノタニ(谷)、ヨゴンタニ(谷)、カズラガタニ(谷)、ハルゴンガワ(橋)、ヒノキヤマ(屋敷名)

小字引地のうちに

ヒキジンタニ(谷)、サコノタニ(谷)、ウシガタニ(谷)、ミヤダニ(谷)

小字日の谷のうちに

ウータニヤマ(山)、ウータニガワ(川)、レイスイダニ(冷水谷)(谷)、シイノキヤマ(屋敷名)、フーズキワラ(屋敷名)、イッポンゲ(橋)

小字四ッ枝のうちに

ブジワンタニ(谷)、クマ(屋敷名)、クシキ(屋敷名)、キョウズカ(屋敷名)

小字田中のうちに

 

小字田六のうちに

 

小字横尾のうちに

 

小字干田島のうちに

 

 

 

※山田村は、用水をどの村とも共有しておらず、昔の配水の慣行・約束事も特になく、水争いも、山田村内で個人間で大なり小なりあっていた程度ということでしたので、表は用水名と用水源のみつくりました。

使用している用水の名前

用水源

使用している用水の名前

用水源

キャーツノ井手

黒龍留

自然水

クシキノ井手

黒龍留

自然水

モンデンノ井手

沢龍留

丸船留

黒龍留

シモダノ井手

沢龍留

丸船留

黒龍留

ヤマンシタ井手

沢龍留

丸船留

ヤマグチ井手

沢龍留

丸船留

シラキ井手

沢龍留

丸船留

 

 

 

<添付地図中のしこ名一覧>

・アカマツバラ

・イチノツボ

・イッポンゲ

・イマバタケ

・ウータニ山

・ウシガタニ

・ウランタニ

・カキノコバ

・カズラガタニ

・カッキタ(柿田)

・カンノンドウ

・キャーツノイデ

・クシキ

・クシキノイデ

・クズムネ

・ゴウトウ

・サウケ

・サコノタニ

・シモダノイデ

・シラキイデ

・シンタメ

・セキベットウ

・タカタビラ

・タルコバ

・タルコバグチ

・タルコバ坂

・ツジ

・ツツミガタキ

・ナカグチ

・ナカノ

・ナカノ橋

・ニシノウエ

・ハルゴン川

・ヒキジンタニ

・フカサコノ谷

・フレデグチ

・ブジロンタニ

・マエダ

・マエダイデ

・マルフネダメ

・ミヤダニ

・ミヤノウエ

・メクラザコ

・ヤマグチ

・ヤマグチイデ

・ヤマンシタ

・ヤマンシタイデ

・ユズツ

・(門田のタンナカ ミヤンマエ)

・門田(モンデン)橋



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