【唐津市屋形石】 農村・山村を歩いて考える 現地調査レポート 1LA97138S 末継 智章 1LA97170S 徳永 善行
村名:唐津市屋形石 話者:野中 吉一さん (昭和9年生) 野中 ツタヨさん(昭和2年生) 原 トヨコさん(大正14年生) 他1名
*一日の行動記録* ○バス農協前到着 ↓ ○江湖付近の調査(2軒留守、3軒目にて) <話者1:野中吉一さん> ↓ ○さらに江湖(畔田付近)東部を調査(3軒拒否、4軒目にて) <話者2:野中ツタヨさん> ↓ ○昼食・休憩 ↓ ○本村の調査(1軒拒否、2軒目にて) <話者3:原トヨコさん他1名> ↓ ○さらに調査しようとするがすべて不在か拒否 ↓ ○バス出発
<話者1> 野中吉一(ノナカヨシカズ)さん *しこ名
・江湖付近の用水――江湖溜 …元々個人のものであったが付近の田の人々が共同で買い上げる。(明治時代) ・江湖付近の薪木――次水の山(地図位置G)から ・地図位置Hには昔、という大きな石があった。―→開発によってなくなる ・屋形石全域の田んぼは変わっていないが、畑や山は開発によって変わってしまった。 ・江湖付近の田んぼの中には、先部や畔田の人のものもある。 ・幼稚園の近くの祠では、毎年12月の初め頃に“オヒマチ”という祭りをしている。 ・江湖には野中さんが多い。――野中六家
<話者2> 野中ツタヨ(ノナカツタヨ)さん *しこ名
*屋号
<話者3> 原トヨコ(ハラトヨコ)さん 他1名 ・屋形石下にある22軒の家をまとめて本村輪内という。 ―→ホンムラワウチ(本村輪内)はさらに、上(6軒)、ホリコ〈堀通?堀戸?〉(6軒)、下(10軒)に分かれる。 ・本村輪内=前田だが、本村輪内が部落を指すに対し、前田は田んぼを指す。 *しこ名
*屋号
【祭り事】 ○三社大明神は村の神様 ―→11月15日に「おくんち」をする。{おこわ、お神酒、団子など} ○祇園神社は夏の神様 ―→旧暦6月15日(今は夏休みに入ってすぐの土,日)に「祇園祭」をする。 {山を引く} ○旧暦の3月21日と8月21日に「お大師参り」という集いをする。(輪内のみ)
・輪内の人々は長興寺が檀家。 ・堀切溜の水は湊のもの。(そこまで流れていく水は屋形石もの) ・前田の田んぼは皆前田としか呼んでいない。(しこ名なし) ・本村付近の薪木―→火立山や次水山や寺上山(今は大型農道になっている)から切ったりしていた。 ↓ たくさん切ったのでどんどん畑になってきている。 ↓ 燃料が薪木からガスへ |