【唐津市宇木村宇木下】

現地調査レポート

1LA97225 福田 幸司

1LA97226 福富 一哲

 

話者:楢田 益夫さん

   堤さん  他

 

  宇木村宇木下地区

*しこ名一覧

シモンシタ、ウメノキダニ、モンデン、ウランタニ、

イケンハタ、オオツカ、ゴウノヤ、

ヒノヤ、クリンタ、キョウノヤマ、

キャワラ、ドウゾノ、クリバヤシ、ヒガシ

田畑

小字コニ田のうちに

シモンシタ、ウメノキダニ

小字梅野のうちに

オオツカ、モンデン、イケンハタ

小字平尾のうちに

ウランタニ

小字栗崎のうちに

ゴウノヤ、ヒノヤ、クリンタ

小字尾ノ上谷のうちに

キョウノヤマ、キャワラ

小字仲田のうちに

ドウゾノ、クリバヤシ

小字上ノ原のうちに

ヒガシ

昔の配水の慣行・約束事

水を取りすぎない。

昔の水争いの有無

特になかった。

 

<一日の行動記録>

バスを降りて地図を頼りに歩くこと40分余り、ようやく宇木と書いてある標識を発見する。途中、確認しようと通りかかった軽トラックを捕まえて「あそこに見えるのが宇木下(うきした)ですか?」と尋ねた。すると運転手は「宇木下(うきしも)やろうが。宇木下はあれたい。」と私が地名を読み間違えたことに対し、少々腹を立てているようだった。正確な読み方を事前に調べておくべきだった。私と同じ班の友人の調査する地域は半田(はだ)という地区であった。普通は“はんだ”と読んでしまうだろう。地名のよみ方はとても難しい。

50分程度歩き続けてかなり疲れていたが、帰りの時間のことを考えると休みを取っている暇はないので、即調査を開始した。

始めに楢田益夫さんのお宅にお邪魔した。まずしこ名について聞こうと思ったが、しこ名と言っても益夫さんには理解してもらえなかった。そこで「○○さんはどこに行きんしゃったね?」「△△に行ったさ。」といった時に使うような地名、例えば“谷ん下”(私の祖父の家の辺りはこう呼ばれていたので例に出した。)みたいなものはないですか?と聞き直してみた。すると益夫さんは「そんなことでいいのか。」と言いながらいくつか教えて下さった。ウメンキダニ(梅の木谷)など小字ではないものが出てきたので、これはしこ名であろうと判断した。この後何人かに話を聞いたが、皆、しこ名と言われるものに価値がないと思っているようで、「こんなもの調べてどうするのか。」と言う人が多かった。

話をお聞きしてあまり立たないうちに、益夫さんは村の会議があると言って出掛けてしまった。そこで益夫さんの奥さんに話を聞くことにした。しかし奥さんは宇木下の人間ではなく他所から嫁いで来たのであまり知らないとの事で、多くの情報を教えてもらえなかった。

次に益夫さんの奥さんに紹介してもらった、宇木下に長く住んでいらっしゃる公民館の向かいの堤さん宅にお邪魔し、堤さん(おばあさん)に話を聞くことにした。前に楢田さん宅で5個ほどしこ名を調べていたので、これを見せることで容易にしこ名の事を理解して頂けた。宇木村を流れる宇木川に架かる「モンデンバシ」のすぐそこに住む人たちは自分のところを「モンデン」と呼んでいる等、なぜそのように呼ぶのか理由があるものもあれば、なぜこう呼ぶのか分からない、昔からこう呼んでいるといって理由が分からないものもあった。中でもおもしろかったのが「オオツカ」と呼ばれている所があるのだが、そこに住んでいる人は自分の名前でなく「オオツカ」と呼ばれているということだった。それだけしこ名がその地域の人々に密着したものであるということだろう。おばあさんから結構たくさんの地名を教えてもらうことができたが、小字と重なるものがいくつかあった。郵便物を送る時はすべて番地で書くそうで、おばあさんが教えてくれた地名は郵便の住所としては通じないらしい。おそらくおばあさんの中では小字とあざ名の区別は全くないと思われる。

堤さんのお宅を後にして、ひとまず昼食をとることにした。住宅地図にAコープというスーパーらしきものがあったので、行ってみることにした。歩いていると女性や子供は見かけるのだが、男性はほとんど見かけなかった。みんな会議に出席しているのだろうか。これまで2人の女性に話を聞いたが、2人とも「主人ならもっと詳しい話ができるのに。」とおっしゃっていた。今日はちょっと日が悪かったかなと思ったが、できる限りがんばってみることにした。

日曜日だったのでAコープは閉まっていた。昼食は諦めてひとまずそこの自動販売機で買ったジュースを飲みながら休憩をとった。地図を広げながらこれまで調べたしこ名の整理をした。宇木下地区はあまり広くないので、たくさんしこ名を調べることができるか心配だったが、10数個見つけることができたみたいだった。

しこ名の整理も終えたので、また話を聞きに行くことにした。少し歩くと草を刈っているおばあさんがいたので話しかけてみると、作業中にもかかわらず親切な応対をして下さった。しこ名についての新しい情報は得られなかったが、おばあさんは住宅地図に載っていた宇木小学校を指して、もうこの小学校はなくなっていて今は児童会館になっているということを教えてくれた。やはりこの宇木地区でも過疎化が進んでいるのだろう。(その割には遊んでいる子供を多く見た気がするのだが。)

次に水利のことについて聞いてみた。地図を見ても分かる通り宇木地区を流れる宇木川という川があり、他にも夕日山の方から水が流れている水路みたいなものがあった。話を聞いたおばあさんは水の事で争ったようなことはないとおっしゃっていた。1994年の水不足の時はどうだったか尋ねてみると、やはり低い方の田には水はまわらなかったらしい。それならどのように対処したのか聞こうと思ったのだが、おばあさんは「稲は強いねぇ。水を引かんでも天水(雨水)だけでちゃんと育ったのよ。」とおっしゃっていた。しかも一番水を引けなかった田が最も収穫があったと話してくれた。帰りのバスの中で同じ班の友人にこの事を話したら、友人の調査した地区も似たような事を話していたらしく、この辺りの地域では水に関してはあまり神経質ではないようだった。水の引き方や水路は30年前と比べてほとんど変わっていないという話も聞くことができた。あまり長い時間話を聞くと作業の邪魔になるので、お礼を言いこの場を後にした。

バスの着く時間と宇木からの距離を考えるともう帰らないといけない時間になっていた。満足いくまで話を聞けなかったことはとても残念だった。男性の方に話を聞けたらもっと多くを知ることができたかも知れない。

歩いて帰りながら、このような所に住む人には車は欠かせないものだなと思った。あと、PHSの電波が通じたのには驚いた。この地域にもPHSの電波塔がついているのだろう。

330分頃にバスを降りた場所に着いた。同じ班の仲間も次々に帰ってきて、全員無事にバスに乗ることができた。

宇木の方々はみな大変親切で、我々の突然の訪問にも嫌な顔せず質問に答えて下さった。調査を達成した喜びもあるが、温かい人の心に触れることができたことの方がもっと嬉しかった。当日は暑くて大変疲れたがとても良い経験ができたと思う。このような機会を与えて下さったことに感謝します。



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