【唐津市双水】 歴史と異文化理解A ―双水現地調査レポート― 1LT97079 竹本 友美 1LT97161 森田美登里
お話しを伺った方:井上政美さん(昭和9年生) 青木 実さん(大正10年生) 6月7日(日)に私たち2人は久里・双水古墳前でバスを降りました。自分たちがどこにいるのか分からず、農作業をしている方に道を尋ねたり、違う人の家で場所を聞いたりして、ようやく目的地である井上政美さん(昭和9年生)のお宅を見つけることができました。井上さんは私たちが調べたいことを確認すると、もう一人詳しい人を知っているからとおっしゃって、青木実さん(大正10年生)のお家に連れていってくださいました。以下は教えていただいた情報になります。
まずはしこ名です。双水は昔から人々が使っていたしこ名をほとんどそのまま小字としています。例えば池ノ内は昔から池ノ内でしたし、千間寺も昔から千間寺と呼ばれていたようです。そのなかで、例外的にあったしこ名としては、セドンクチと呼ばれる田が名小田の中に、またシンデンと呼ばれる田が井東と山ノ下にあったそうです。特にシンデンというしこ名は昭和16年の大水害の後、少し耕地が整えられ、また、昭和48年からの補助整備によって新しく作られた田という意味だろうということでした。田についてのしこ名は以上ですが、あと溜池で小字「池ノ内」という所に「カゲンタメ」と呼ばれるものが、そして、小字「千間寺」というところに「センゲンジ」と呼ばれる溜池があります。「カゲンタメ」というのは、お寺の陰に溜池があったため、陰にある溜池が略されて「カゲンタメ」になったそうです。また、小字「大塚」のうちにある「大塚上溜」は「坊さん堤」と呼ばれていたそうです。それは、この池でお坊さんが入水されたからだそうです。 そして、先程でてきた耕地整備の話ですが、以前双水では、田1つ1つの面積が狭く、また、道等も整備されていなかったため、トロッコを使って作業をしていたそうです。さらに、松浦川の氾濫によって、10年に1度くらいの割合で水害がおこり、川近くの田は水害にみまわれ、もみだけでようやく1俵という田もあったそうです。そこで、河川改修が行われ、それにあわせて、耕地整備も行われることになったということです。そのため現在では、1つの田が3反ぐらいに拡大し、機械も使い易くなり、水害によって被害を受ける田もなくなったそうです。しかし、その耕地整備には当時のお金で258万円という莫大なお金がかかり、個人も、田の7%を道や溝を造るために無料で提供しなくてはならなかったそうです。そして、耕地整備前と後では所有面積のくい違いもでてきたそうで、その差額は、田が広くなった人が狭くなった人へ現金で支払ったそうです。 そして、河川についてですが、まず、昭和16年の大水害で木橋が壊れたため、橋の位置を変えて現在の位置になったそうです。その後、昭和48年から、国の補助金をもとにして、松浦川の東側を中心に、双水、久里・・というように、10年かけて順々に行ったそうです。改修前は、用水路から引く水が少ない地域もあったそうですが、(争いになるほどではなかったらしい)整備後にはすべての田によくいきわたるようになったらしいです。もともと双水は、その地名が「雙水」からきているように、水の豊富な地域であったため、水に関する争いはなく、昭和53年の旱魃の時も水に困ることはなかったそうです。双水の水源池は、昔は川の上流と中流に一つずつあったのですが、やがて中流のものだけを使うようになり、その水源池も河川改修の堤防の位置にひっかかって、現在の第一取水場に移動したということです。また、今では水害は5年に1度あるかないかで、仮に起こったとしても被害はないようです。 道路については、河川改修以前は溝(水路?)にあわせていたため、曲がりくねっていましたが、今ではまっすぐになったらしいです。 次に祭りについてですが、双水では年に4回大きな祭りがあるそうです。それに加えて様々な伝統的風習が残っているそうです。まず1月20日に「桃手」があり、子供の元気な成長を願って兎の絵を弓矢の先につけて、この辺の人の氏神さまである住吉神社に奉納するそうです。そして、2月11日に「新嘗祭」が、また4月15日には「春祭り」があり、作物の豊作を願うそうです。また、7月14・15日には「夏祈祷」があり、夏休みには川で溺れた子供の供養のために、団子を川へ持っていく「川祭り」もあるそうです。さらに10月15日には「秋祭り」があり、9月15日の敬老の日のお祝いを兼ねてお祭りをするそうです。そして、「権現様祭り」というものもあり、以前は権現様にお参りして子供に相撲をとらせていたそうですが、今では夜にお参りするだけになったそうです。
訪問先では、井上さんや青木さんは親切に迎えてくださり、しかもとても詳しかったので、順調に調査が進みました。少し早口だったので聞き取るのが難しかったけれど、あまりにも上手くいったので、私たち2人とも感無量でした。準備が大変だったけれど、報われたのでよかったと思います。
*水が足りないこともあったが、争いになるほどではなかった。 |