【唐津市屋形石先部上、下】 農村・山村を歩いて考える 現地調査レポート 1LA97144 園田 規正 1LA97176 中岡 福久
話者:坂本 庄治さん(明治40年生まれ) 坂本 与一さん(大正5年3月生まれ)
<12月23日 現地調査日の行動記録> 8:15 九州大学六本松集合 8:30 出発 10:00〜 現地到着、調査開始 11:00〜 一軒一軒訪ねてみるが、村には年寄りが少ないと言われ調査が思うように進まない。 11:30〜 昔の事を知っている人に会う。色々と話を聞くことができた。 12:00〜 他の人にも聞きに行こうとしたところ、道で古老と出会う。この方からも色々話を聞けた。 1:00〜 調査がひとまず終わり、バスが来るのを待つ。 1:30〜 暇だったので、再び調査開始。 2:00〜 道で古老を見かけたので、色々と話を聞かせてもらった。 4:00〜 その後も色々な人に聞いて、バスに乗った。 6:30 学校に到着、解散。
<解説> ・この地区では、大正3年の改修工事に伴い、耕地整理が行われていた。また用水源の先部溜は、現在は農業用水としか用いられていないが、昔は上水道も井戸も発達していなかったため、生活用水としても用いられていた。 ・畑作について 昔は麦を栽培しており、二毛作の裏作にも麦を栽培していた。麦を栽培しなくなってからは、タバコを栽培し始めたが、現在では先部地区でタバコを栽培している農家は3軒にまで減ってしまっている。 ・屋号 この辺りではついていないらしく、特別な職業(鍛冶屋など)は、屋形石には少なかったそうである。 ・水争いについて 他の地区との争いよりも、先部地区内部での争いが激しいらしく、数十年来村八分というのも珍しくないらしい。 ・村の現状について この地区では世代交代も大幅に進んでおり、年配の方もどんどん減ってしまっていた。それに伴い、家も新しいものが多く、昔からのワラぶきの家は全くなくなってしまった。以前はワラのふきかえなどには人手が必要で、近所との協力が不可欠だったのが、それがいらなくなってしまったので、(これだけが理由ではないだろうが)地区としてのまとまりがなくなっている。
<感想> わざわざ佐賀まで行ったかいがあったと思います。地元の人はとても親切で、色々な事を教えてくれました。前期で佐賀に行った時は初めてだったこともあり手際が悪く、地図にしこ名を記すのを忘れてしまいました。しかし今回はその反省を基にちゃんとできてよかったと思います。服部先生の研究は、後世に伝えるというすばらしいことをされていらっしゃるので、それに協力できて嬉しく思います。 |