【唐津市佐志中通・浜町】 農村を歩いてみて 現地調査レポート 1EC97161 牧 一行
話者:大谷さん 坂本区長さん
私は、12月23日に佐賀県唐津市佐志中通・浜町を訪れた。当日はあいにく曇っていて、風も強かった。私はまず、昔からそこに住んでいる人を訪ねてみた。 私は、初めに大谷さんを訪ねた。大谷さんは、佐志中通・浜町の方言についていろいろと調べている。そのついでに、昔使われていて今は使われていない地名も調べている。大谷さんが調べて、謂われがわかっているものを表にまとめてみた。
地名 (呼び名) 理由 皇后座(コウゴウゼ) 応仁天皇の母、神功皇后が滞在したから。 水門の口(イビノクチ) 昔、水門があったから。 尻無(シンナシ) 尻無川が由来の元。 浜(ハマ) 昔、浜だったから。 浜ンデー(ハマンデー) 昔、浜の堤防があったから。 堤防下(トウボシタ) 昔、浜の堤防の下だったから。 馬場(ババ) 地元の武士が、馬を育てていた所だから。 橋口(ハシグチ) 昔、橋があったから。
他にも、幾らか知っていたが、今のどこらあたりになるかよく分からないので、教えてもらえなかった。 大谷さんは、ゆっくり丁寧に私に教えてくれた。それに、訛りがなく私との会話もスムーズに進んだ。 つぎに私は、坂本区長さんを訪ねた。坂本さんは、この佐志中通で代々農家を営んでいる。坂本さんからは、佐志の歴史についても話してもらった。昔この佐志を支配していた人たちの家は、坂本さんの家から少し行った所で、今では小さな鳥居が建っている。大部分は大谷さんから教えてもらっていたので、あまり教えてもらうことがなかった。
地名 (呼び名) 理由 カン道(カンミチ) 分からない。 龍体(リユウタイイ) この付近に岩があり、それが龍のように見えるから。 北の郷(キタノゴウ) 郷(佐志中通のこと)の北側だから。
あとは、昔桜町の山に浜田城と呼ばれる城があったことも教えてもらった。他にもいくつかあるそうだが、思い出せないそうだ。また昔朝鮮出兵の折に、豊臣秀吉がここ佐志を通ったそうだ。昔の地名についてもっと詳しく知りたければ、唐津市役所の固定資産税課へ行って教えてもらえば、たんぼの一つ一つの細かい名前まで分かるそうだ。 最後に坂本さんには、キュウイをごちそうになった。
感想 私は佐賀県の出身(神埼町)だが、唐津市についてはあまり知らないし、ほとんど行ったこともない。しかし初めて佐志へ行ったが、そこの人々はやさしい人が多かった。 道を聞いてもやさしく教えてくれた。だから今回唐津に行ったことはいい経験だった。 |