【唐津市見借地区】
1LA97187 中山 幸
<聞き取りした方の名前> ・宮崎忠一さん 昭和4年生まれ ・坂田健一さん 大正7年生まれ(老人会会長)
<村の名前> 佐賀県見借
<しこ名一覧> ・カミヤシキ ・オバンフツクラ ・フキンタニ ・ヤツバナ ・フカサコ ・コハザ ・タナカ ・ダジ ・ゲンシンボウ ・タニグチ ・トンバタケ ・ダミチ ・ジイショ ・ヨドヒメ 計14
<しこ名について> ・オバンフツクラ…その田畑一帯に西陽がよく当たり、あたたかいことからきていて、おば(おばあさん)のフツクラ(ふところ)のようにあたたかいという意味。 ・フキンタニ…昔、えらい人が住んでいた附近からきている。 ・ダミチ…駄道の漢字を当てる。昔、道がなく、馬で通ったことからきている。 ・ヨドヒメ…昔、その土地に住んでいた庄屋の娘の名からきている。 ・ゲンシンボウ…昔、神主が住んでいたところという意味で、ゲンシン=神主らしい。 ・カミヤシキ…昔、庚申様が川の上流から流れてきたことからきている。
<水利について> 水争いというものは特別なかったらしい。水は井堰とため池からきている。井堰のゴミ、その他のことに関してはその井堰の所有者が管理する。ため池は村全体で管理している。また、大旱魃時は井堰を持っていないところは、川からポンプアップ式のくみあげを行ってのりきったらしい。その際の水の入れ方などは村で決めた。また、井堰を持っている人には水害補助金が出された。
<村の耕地について> 燃料のまきなどは、自分のもち山から取ってきていた。また、昭和30年代頃までは共同風呂が4つあり、カミグマ・マツノキ・ツジノモト・シモグミにそれぞれあった。昔、米の他に現金収入として、日雇いで墓石掘りや、野菜・みかん・麦などがあり、タバコは以前一年ほどやったがやめた人もいた。
<その他、村について> 見借…昔はカスミガサト(霞ヶ里)と言われ、偉い人が高い所から見借を見下ろしたとき、霞がかっていたところに由来する。 また、猿田彦神社の前にある記念碑は、見借の庄屋の先祖“ソウタウンペイ(宗田運平)”であり、天文学者として江戸時代歴代の将軍に仕えていたらしい。 旧暦の初庚申の時、フリュウ(浮立)と呼ばれる舞を奉納する。この浮立は伝統文化財に指定されており、20種ほどのおどりの態型がある。この起源は300年ほど前にさかのぼり、上流からカミヤシキに流されてきた庚申様の御神体をお祓いしたことからきている。なお、この浮立は猿田彦神社で行われている 現在、水利については、平木場ダムから飲料水を、馬場野溜から農業用水を使っている。そのおかげで、水にはとくに不自由はしていないらしい。
<1日の行動記録> バスを下りて見借まで歩いて、1時間弱ほどかかった。見借までの道は1本道であるが、山を1つ越えねばならず、かなりきつかった。見借という村は川をはさんで山に囲まれている村であり、大変小さな村である。主にほとんど農家であると思われる家のつくりであった。また、猿田彦神社というのが村の中心的な役割をはたしているようであり、季節行事というのもほとんどここで行われているらしい。特に浮立というものは前にも説明した通り、一大行事であるらしく、特別の思い入れがあるようである。浮立は伝統芸能の1つであり、文化財に指定されている。実際、この神社は高台にあり、村を一望できる。さらに庚申様との関係が深いためか、“見ザル、聞カザル、言ワザル”のサルの像が多く置いてあった。 聞き取り調査をさせていただいたのは、まず最初に宮崎忠一さんで、この方は随分よく知っておられた。小字はほとんど知っておられ、しこ名も思い出しながら答えていただいた。また、位置も小字の中を確認しながら教えていただけた。 次に、坂田健一さんにお話を伺ったが、この方は見借の老人会会長をなされており、昔のこと、名前の由来や、行事の起源など、大変くわしく知っておられた。また、しこ名もさらに聞きだすことができ、大変役に立つものとなった。しこ名の由来についていくつか知っておられ、しこ名は本来音で伝わっているものだから、名の由来というものは伝わりにくいものであると考えられるが、よく思い出されてお話をきかせて下さった。 ただ、今回、生産組合長さんの家を訪ねたが、皆仕事に出ておられ、お話をきくことができないのが残念であった。また、皆、自分のうけ持ちの田のことについてはだいたい分かるが、他のうけ持ちの田については知っていないようであった。
<全体を通して> 今回の調査を通して、調査というものだけでなく、他に村の様子など様々なことをきくことができ、おもしろいと感じた。 ただ、寒いのだけは相当つらかった。村であるから何もなく、お昼時をはずすため待つ間、行く所がないのには大変困った。村の人達はやさしく、みかんやコーヒーをいただいたりして、大変うれしかった。また、家でしめなわをつくっておられ、年の暮れというものを感じられた。季節行事というものを大切にしておられるのがよくわかった。 しこ名自体は、やはり老人の方のほうがよく知っておられ、女性よりも男性の方が知っておられた。また、最初はやはり、しこ名というものは村の中で通用するものであるから、それをわざわざ調査するということに不思議がられた面もあった。しかし、皆、心快く教えてくださった。 |