【唐津市唐ノ川地区】 歴史と異文化理解A
1LT97113 後藤敬人、1LT97110 小柳登志夫、1LT97092 魏 煒
<お話を聞かせていただいた方> 川添徳治さん(大正13年生)
<水利について> 用水は3つあったらしいが、その名前までは調査できなかった。3つの水路は地図〔添付地図省略:原本は佐賀県立図書館所蔵〕に示しておく。用水は堀田から西ノ吹に至るもの、中尾と一ノ坂の境から丸尾に至るもの、西ノ吹と丸尾の境から坂口と上場に水を供給して村外にゆくものの3つである。また、境については、わき水が出るらしく、その水で田をうるおしていたそうである。他のところでも、ほとんど谷のわき水を利用していて、これは現在においても続いている。 水争いについては、村内で個人的に起こることはあったが、村同士の争いは1度しかなかった。中木場の東の村とで、川の水をとりすぎたことが原因らしい。結局、中木場の人達が折れて、隣村の人々に御馳走して事を収めたらしい。 唐ノ川は水が豊富で、水に関するタブーはなかった。3年前の干ばつでは打撃は受けなかったそうであるが、55年くらい前にひどい干ばつがあったそうで、そのときは高峯で雨乞いをしたらしい。不思議なことに、実際的な対応策は何もとらなかったそうである。 ※閑話休題…現在の田中川は、昔は板の平川といっていたらしい。
<古道について> 別付の地図に掲載してある。この道は、松浦公が参勤交代の際に利用したそうである。そのため、道付近には茶屋や宿屋などが出来ていたらしい。
<祭祀について> 《神社》 ・田島神社…まつられているのは市杵姫命。この神様は海の神様である。 ・日吉神社…田島神社と合祀している。祠がある(誰のものかは調査できなかった)。
また、中木場の天神山や薬師山も信仰されていた。しかし、現在ではもうすたれてしまっている。
《祭》 ・豊前坊さん…奥(しこ名)で行われていた。現在ではすたれている。 ・殿川くんち…田島の神をまつる ・氏川の祭り…春の彼岸・植え付けが終わった頃(6〜7月頃)・秋の彼岸に行われている。中者〔植え付けが終わった頃のことか?〕は豊作を願っての祭りである。この時期に、冬の間に村にあげていた鐘をおろすそうである。何故かまでは調査できなかった。現在は行われていない。
《水まつり》 土用に行われ、水で食あたりしないようになどを願う。この日に井戸の掃除をし、供物をささげ、たんざくに野菜の絵を描く。
昔は人々をまとめる機能の一つとして、祭りが利用されていたが、現在ではその機能は地域でのレクリェーションにその地位を譲っている。
<良田・悪田の差、肥料など> 良田では8俵半(500キロ)、悪田では3俵(180キロ)程度。良田では冬期に麦・れんげ(牛のエサ用や、土地の回復に有効)・油菜(同左)を栽培していた。現在ではほとんど行われていない。肥料は草を発酵させたもの・油かす・人糞を利用していた。
<村地について> 基本的に何をしてもよいが、木を切ってはいけなかったそうである。どうしても必要なとき(家を建てるなど)は、村会での許可が必要だった。村山などを利用できるのは篤農家ばかりで、一般の村民はそんな余裕はなく、まきなどは家の周辺でまかなっていた。
<添付地図中のしこ名等一覧> ・カッキ田 ・ガンガラ石 ・サキヤメ ・サヨ姫松 ・チュチュラガチュ ・フダノ ・安ジョウ寺田 ・奥 ・屋敷 ・貝ノ口 ・岩木場 ・士切 ・寺田 ・宗太郎 ・神山之迫 ・神田 ・石有田 ・前田 ・忠次 ・長田 ・長迫(上場) ・長迫(西ノ吹) ・殿山 ・田代谷 ・日影田 ・日焼田 ・澤田 |