【唐津市神田地区】

 「農村山村を歩いて考える」レポート

 

1EC97004 安達沙織、1EC97026 植森智子

 

 

<唐津市の調査について>

 上神田・内田・西浦、それぞれ歩いて調査したものの、小字以上に細かい区切りは田畑にはないと、何人もの人に言われた。唐津市では、しこ名のことをあざ名と呼び、そのあざ名という言葉自体を知っている人さえ少ない地域であった。かなりの年長者であっても、くわしい事をながながと話してくれる人も、知っている人もいなかった。質問は、家の前の畑を指して、「この畑についている名前はないですか」とたずねると、「ないよ、畑と呼んでいる」と答えられるばかりであった。

上神田については、バス通りの下の山あいの中にある集落で、時代をさかのぼったような場所で、道もアスファルトの舗装はしてあるものの、車がやっと一台通れるような曲がりくねっている所であった。近くには小川が流れているものの、その名前もなく、「みぞ」だと言う人もいれば、「前の用水路」と呼ぶ人もいる。しかし、その中には新しい家もあり、若い家族と思われる家もあった。まず始めに、家がとても古い養鶏場をしている所をたずねた。そこには23日に行ったため、祝日用のひのまるが玄関にかかげられていて、とても古い感じがした。養鶏場といっても小規模であった。しかし、においはかなりきつく、庭の土も少し汚かった。72才の内山トメさん宅で、このおばあさんは一人で養鶏場をきりもりしているらしい。そのおばあさんにそこが上神田であるかどうかを確認して、この土地にくわしい人は誰かをたずねた。すると、すぐ近くの区長である野口喜代三さん(60才)をおしえてくれた。

野口さんは上神田周辺の小字の地図を見せてくれた。それには上神田というのは大字で、その中には小字がたくさんあった。宇土・木下・一丁田など、たくさん地図を見ながらおしえてくれたが、それは大字上神田という中にある小字の名前にしかすぎなかった。1時間弱、野口さんの話を聞いたのに、それ以上くわしいことが分からなくて残念だった。これ以上細かい区切りは、何度聞いても、ない、と言われた。

その次に、内田では唐津南高校(旧 農業高校)が近くにあるために、大きな道路も信号機もあった。高校の正門の前にある川崎市会議員のおうちをたずねた。市会議員(65才)は家の庭で、竹をつかった正月の門松をつくっていた。その市会議員に同様のことを尋ねてみると、ほぼ同じ答えがかえってきた。近くのみぞの名前を聞いても、ただのみぞとしか、おしえてくれなかった。私が聞くことはやはり、「何を知りたいのか、よくわからん」とか、「それ以上細かい区分けはしてない」、「あざ名は、もう呼んでないだろう」と答えられた。

その次に西浦に行った。西浦では瀬川区長の家を訪問した。瀬川区長(69才)は、なにやらいそがしそうで、私たちが質問すると、バカにした言い方で、「もうそんなことは、今は使ってない」と言った。今使っていないなら、昔使っていた人をおしえて下さいと頼んだが、その時代の人はもう大昔になるからいない、と言われた。西浦は田畑も多くあり、路地〔露地ヵ、以下同:入力者注〕栽培が盛んで、昔はいちごを路地でつくっていたそうだ。しかし、今はビニールハウスでの栽培が目立つ。「稲作以外はどのような農業がありますか」と聞くと、「見ればわかるだろ、どこの大学かね?」と言われ、「九大です…」としか言えなかった。見ても、いろいろな作物がうえてあって、それはただの家庭菜園でしかなかった。周辺の様子は、ただただ田畑があるだけだった。その水田は、区画整理が全然なされてなくて、まるい水田が段々になっている所や、平地に広がっている所などがあった。

それぞれ3つの地域を調査してみたが、大字上神田の中の小字はわかっても、それより小さい区切りは存在しないことがわかった。どの人に聞いても知らない人ばかりで、用水路の管理者は誰かと尋ねても、「用水路の管理は、役場の農業関係者の人がしている」とあっさり言われた。

以上のことから考えると、唐津市の神田地区では、よほど奥まっている所以外は、行政の管理がゆきとどいているため、昔の呼び名は残っていなかった。田んぼは誰の所有であるかの区別以外、特別に地区の名前は今の人は使ってなく、消えてしまったのである。私たちは消える前にそれを記録する目的で調査に臨んだわけだが、私たち唐津組は達成できなかった。一つの原因としては、観光地であるため、海沿いはリゾートホテルなどがあり、道も家もきれいだった。そのため開発が進み、発展したため、昔の農家のしきたりも、歴史の記録も、もう失われた後だった。

歩いて調査して、通りがかりのお年寄りに聞くと、3人も無視された。たぶん、その人たちはめんどうだったのだろうと思うが、しかし悲しかった。家にちゃんと訪問すると、聞いても同じ答えばかりで、少しつらかった。

私たちは唐津市近郊の調査なため、非常にわかりにくかったのだが、少し唐津の農業についてわかった。唐津は、昔からある古い農家と新しい家とがまざっているところで、若い家族の住宅がだんだん増えてきているが、まだ区画整理のなされていない田畑や、主要道路のない所では、庭には作物を入れる売場用のダンボールなどがつんである古い家もあった。神田付近も、唐津市街におされ発展してしまったため、調査は目的を達成できなかった。



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