【唐津市上久里

現地調査レポート

1LT97089 俵 知子

1LT97094 津留香織

話をうかがった古老  熊本芳美さん 大正141月生まれ(72

           佐伯義晴さん 大正1411月生まれ(71

 

 私たちは、唐津市の上久里という土地を調査することになった。事前に生産組合町の方に連絡しておいたが、忙しいということで断られた。よって、まず上久里に到着してから、物知りの古老を見つけることが必要だったので、見つかるかどうかとても心配だった。

到着してまず、自分たちが今どのあたりにいるのか地図で確認し、それから探すことにしたのだが、風が強いせいか田んぼで仕事をしている人は少なく、調査ができるかどうか本当に心配になった。

しかし、田んぼの中をうろうろしているうちに、一人のお年寄りの方と出会うことができその方に少しお話をうかがったところ、「区長さんが詳しく知っているよ」とおっしゃったので、区長さんのお宅を訪ねることにした。

区長さんの家では、今が旬なのかタマネギの出荷で忙しそうだったが、事情を説明するとこころよく応じて下さった。しかし、区長さんも見たところ五十才ぐらいという感じで私たちの言いたいことはわかってもらえたが、昔のことはよくわからないらしく、区長さんの親戚の方を紹介していただいた。

そして、私たちはその親戚の方の家に向かったのだが、その途中で最初に出会った古老の方と再び会うことになり、運良く二人の老人から同時にお話をうかがうことになった。聞き取りをしたお年寄りの方は、熊本芳美さん(72才)と佐伯義晴さん(71才)でお二人とも農業をなりわいとしている方で、もちろん生まれからずっとこの上久里で育った方だった。

まず。この調査の主な目的である「しこ名」について聞いたところ、上久里で使っているしこ名は、市役所で使っている小字と全く同じで、場所も同じだった。かなりしつこく聞いたのだが、「昔からその名前で呼んでいるし、それ以外の名前は知らない」ということだった。ただ、佐伯さんの家では八町(地図参考)を「仲田(オキダ)」とも呼んでいたらしかった。熊本さんの家でも特別な呼び方があったかどうか尋ねたが、無かったということだった。

それから水利については、近くの松浦川から上久里だけで引いていたが、五十年ぐらい前から久里と鏡で共同して水を引き、日割で使用しているということだった。昔からこの地方は、松浦川の水が豊富はで水に対する村どうしの争いはなく、また三年前の大かんばつでも何の支障もなかったということである。

また、二、三の畑を除いてほとんどが田であり、米の種類は「日本晴」と「ひのひかり」で、裏作で麦を作るということであった。今日は、化学肥料が発達して田によっての出来不出来はないが、昔は大雨で川氾濫して浸水することがあり、そのせいで赤間田と八町の上半分が他に比べて、米の出来が悪いこともあったそうである。しかし、昔からこの上久里は松浦川の恵みで他の村に比べて、米がよくとれ、裕福な家が多いということだった。

化学肥料の前に使われた肥料としては、堆肥であり麦ワラに、その当時ほとんどの家で飼われていた牛や馬のフンを混ぜて発酵させて作ったらしい。また人プンも肥料として使用したということだった。化学肥料を使用する前は、反当り五俵(約240s)米がとれ、その後は以前の倍の収穫になったということでる。

また、村共有の山林もあったことはあったが、ほとんどの家がそれぞれ山を持っていて、持っていない人は借りていたらしい。燃料は、それぞれの山からとってきて種類は、シイ、マテガシだった。道については、今と昔ではほとんど変化はないということだった。

祭祀に関して、上久里には観音様と天神様そして権現様がそれぞれあり、昔は天神様と観音様を一緒にまつっていたのだが、タタリがあるというウワサがたったので、それ以来別々にしたそうである。また観音甘は安産にきくと言われているらしい。上久里では春と秋に年二回祭りが行われている。

最後に、村のこれからについて尋ねたところ、現在の上久里はもともとこの地にいる兼業農家の家と、全然ゆかりのない新しく家を建てた家との「混住」地域であり、区会や年二回の川掃除を共同で、仲良くやっているということであった。また、近くにあつた小学校の児童数も新しく住み始めた若い人々のおかげで以前に比べて増加しているということだった。私たち自身上久里の将来は、それほど暗いとは思えない。

昼食後、何軒かの家をまわって再度「しこ名」について尋ねてみたが、皆小字と同じ名称しか知らなかった。「圃場整備前につけられていた『しこ名』がそのまま小字になった」と皆さん口をそろえておっしゃっていた。

今回上久里を調査して感じたことは川が近くにあるというのは農業にとって本当に有利なことだということだ。大河のほとりに文明が栄えたように、水はすべての源なのである。一日中何軒もの家を訪ね歩いて疲れたが、教室から出て実際歩いて学ぶ意義をつくづくと感じた。

 

話をうかがった古老  熊本芳美さん 大正141月生まれ(72

           佐伯義晴さん 大正1411月生まれ(71

村の名前

 

小字

しこ名

 

 

大丸

ダイマル(大丸)

 

 

赤間田

アカマダ(赤間田)

 

八町

ハッチョウ(八町)・オキダ(沖田)

 

松ノ元

マツノモト(松ノ元)

 

水町

ミズマチ(水町)

 

 

高田

タカダ(高田)

 

岩丸

イワマル(岩丸)

 

 

岸添

キシゾエ(岸添)

 

 

古川

フルカワ(古川)

 

 

三角田

ミスミダ(三角田)

 

 

大堀

オオホリ(大堀)

 

しこ名はどの方に聞いても今と昔は変わっていないらしく、

ただ佐伯さんだけが八町を沖田とよんでいらっしゃいました。

 

◎村の水利について

 ・水はどこから引水されているのか…松浦川

                     松浦川から引いて、ポンプで上げ用水路に水をおくる

 ・共有しているほかの村…鏡と水利組合をつくって共同で松浦川から水を引いている

(昔は久里だけだった)

日割をして水を引いている

 ・昔の水争いについて…水が豊富なため、水争いはなかった

 

◎村の祭祀について

春まつり…豊作を祈る

秋まつり…収穫を祝う



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