【唐津市半田中組】

歴史と異文化理解A 現地調査レポート

1LA97180 中原 雅人

1LA97183 中村 暁

 

調査日:1997629日(日曜日)

話者:    米倉 博幸さんの母

米倉 行雄さん(大正14年生まれ)

米倉 誠喜さん

袈裟丸さん

 

村の名前

シラノ (小字 西の浦のうちに)

 

ウツクシ(小字 馬場のうちに)

 

ミウラ (小字 松尾のうちに)

 

 

田畑

 

地番

 

小字 天神元のうちに

天神元31893258

ケーノ、

ハタケンナカ

小字 松尾のうちに

松尾43804431

ナカ

小字 道祖之元のうちに

道祖之元44324482

カミ

小字 馬場のうちに

馬場37533857

シモ

 

 

一日の行動記録と古老から教えて頂いた事

815〜 六本松正門に集合。出席カードを受け取りバスの号車を確認し乗車。佐賀へ向かった。

1030〜 バスに乗って早1時間が過ぎ、ふと気付くとバスに乗っていた友達が次々と降りていた。しかし、私たちの降りる地点がなかなか来なかった。ついに終点まで着いたのだが、そこは私たちが降りるはずの地点からはかけ離れていた。どうやらバスのルートが違っていたらしい。そのために、そこからまたバスが逆戻りして、降ろされた場所は調査する場所からは相当遠い距離あった。歩く以外に方法はなく、照りつける太陽の下を途方に暮れながらひたすら1時間ほど歩いて、現地に着いた時にはもうすでに正午を回っていた。近くのAコープで昼食を取ろうと思ったが日曜日は休みであり、持参したおにぎりを1個ずつ食べた。

1205  アポイントメントを取っていた市丸博信さん宅へ到着。ベルを鳴らしたのだが返事がない。鍵もかかっている。裏へ回って畑に行くと、市丸さんと思われる方が作業をしておられた。私達は市丸さんは区長さんと思っていたが、話を伺うと生産組長と言うことがわかり、しかも市丸さんは40代ぐらいでしこ名についてはわからないとおっしゃった。そこで区長さんである(市丸さんは駐在員さんともおっしゃった。)米倉澄男さんという方を紹介して頂いた。

1220〜 米倉澄男さん宅へ到着。あいにく澄男さんは結婚式に出席しておられて不在であった。そこで応対に出て来られた澄男さんの奥さんに昨年まで区長をしておられた米倉誠喜さんを紹介してもらった。

1231〜 米倉誠喜さん宅へ到着。今度は嬉しいことに誠喜さんはご在宅であった。誠喜さんは30代か40代ぐらいで、しこ名についてはよく分からないとおっしゃりながらも2つのしこ名を教えていただいた。ただ、「親父ならたくさん知っとると思うけど、今日は夜まで帰って来んもんねー」と言われ、自分たちの事前準備の甘さを痛感しながら詳しい方を紹介して欲しい旨を伝えたのだが、残念ながら分からないという事で、調査は難航した。

1240〜 歩き回って少し疲れたため、休憩を取ろうと中組の公民館の手前にある小さなお店に入りアイスを買った。そこでもしこ名について伺ったがやはり何もつかめなかった。しかも、地図上では中組と思われるこの店は本村地区であることを教えられた。

公民館の御堂でアイスを食べた後、誰か詳しい人探そうと思い、再び歩き始めた。それから岡本敏さん宅を訪れたが、出てきた奥さんに「この家は本村です。」と教えられ、調査場所の方向を変えた。それから留守中のお宅が数件続き、米倉博幸さん宅へ到着した。

1250〜 米倉博幸さん宅のベルを鳴らすと米倉博幸さんの母(古老)が出てこられて、しこ名について尋ねたところ「しこ名て何?」とおっしゃられた。マニュアル通り、地元の人はしこ名という言葉に馴染みがないらしい。そこで説明を付したのだが、最初はよくお分かりにならなかったようで、小字地図の小字が実際どこにあるかを教えてくださった。そしてしばらく経って「(地図上を指差して)ここら辺はシラノと言うねぇ」と言われたのでしめたと思い「そういうのを教えてくれませんか」と切り返し、結局しこ名を数個教えていただいた。

1310〜 まだ情報が足りないと思い村を歩いていると、一人の老人に出くわした。半ば諦めながら尋ねたところ、幸運にもその方は昔区長をやっておられたそうで、村のことには詳しいと自負され、快く調査に応じて下さった。名前は米倉行雄さんで大正14年生まれの方だった。行雄さんの家で半田の小字が書かれている地図とその小字に属する地番の一覧表をいただいた。行雄さんによると地元の方たちはしこ名を使う事はそれほど多くなく、小字や地番の方をよく使うそうである。しこ名を伺うとそれが小字であったものもいくつかあった。行雄さんのお宅で半田中組地区の範囲についても伺った。中組地区は、寺ノ尾(地番30683123)、西ノ浦(地番31243188)、天神元(地番31893258)、馬場(地番37533857)、松尾(地番43804431)、道祖之元(地番44324482)、三栗屋(地番44834514)という7つの小字で構成されているそうだ。また他の地区から移り住んできた人たちは元々の地区の小字に属するという、なんとも複雑なこともあった。

1400  行雄さんは資料を貸してくれるとおっしゃって下さったが、行雄さん宅にたまたま来ていた袈裟丸さんという方が資料をコピーして行くようおっしゃって、わざわざ車で山を降りた所にある某コンビニエンスストアSに連れて行って下さり、その帰りに家まで招待された。

1430  袈裟丸さんは中組の方ではなかったが、なぜか中組のことには詳しかった。袈裟丸さんからは半田の歴史・史跡について教えていただいた。それによると元々半田は半田村として存在していたが、1889年に鏡村、半田村、宇木村が統合されて東松浦郡鏡村半田となり、さらに1954年に唐津市に加えられ、唐津市半田となって現在に至っているそうだ。また半田の西側は最近20年〜30年の圃場整備が行われ、整然と区画された水田が並んでいた。西九州自動車道がそのうち通るということなども教えていただいた。それから唐津市の歴史が書いてある本なども見せていただき、縄文晩期・史跡である葉山尻支石墓があることなども分かった。

袈裟丸さんには本当にお世話になった。コーヒーや昼ごはんまでご馳走になった。おにぎり1個しか食べていなかった私たちは、田舎の方々の心の温かさを噛み締めながら、美味しく頂いた。

1545  袈裟丸さんにバスが来る場所まで車で送っていただいた。

1615  バスに乗り込み六本松へ。

1830  六本松到着。

 

今回の調査では時間が短くて大変で、思ったよりも若い人が多かったため、村に詳しい古老を見つけにくかったが、村のしこ名を知ると同時に人々が優しく温かい気持ちを持っていることに感動した。いつか暇があったら、次はもっと時間にゆとりを持って村を回り、お世話になった人々にお礼をしようと思う。



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