現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/座主 1LA97147■ 高月勇介 1LA97158■ 田中洋一 7月20日(日)、大分の自分の家から佐賀まで車で調査に出かけた。途中車が混んでいた上に道がわからず、4時間もかかってしまったが、何とか目的の浜玉町座主にたどり着いた。 手始めに石井商店という店で、村のことに詳しい人を尋ねたが、あいにくよくわからないということなので、集落の中心にある川上神社に行ってみた。すると、何人かのお年寄りがゲートボールをしていたのでゲームが終わってから、いろいろ聞いてみた。みなさん、年をとっているといっても60代ぐらいの人ばかりで70,80才の人はいないということだった。(10人ぐらいの方にいろいろ聞いた)2時間ほどぐるぐると回ってみたが、だれも知らないとのことなので、最長老だという吉村直喜さんに聞いてみた。しかしこの方もよく知らないというので、何でもいいから知っていることを教えてくださいとお願いさせていただくと、座主の地名の由来について教えてくださった。 座主はもともとこの地域の中心にあり、よくいろいろな集落の名主がこの座主に集まって、座って会談したところから座主と呼ばれるようになったということである。付け加え、今坂川真手野川どう支流の合流地点に分別されていたそうである。1994年の干魃のときも、この3つの川の水量は確かに減ったが、それでもやはり3つの川の合計の水量は充分足りたということだった。水は豊かなので、犠牲田や、時間給水は必要なかったということである。もし、40年前にあったとしても、この3つの川はもともとあったので、あまりかわらないということだった。 村の範囲は、それといって、決まってないらしく、アバウトらしい。 座手は元々山の真ん中にあり、水田より果樹園が多く、水田はほとんどなかった。 村の道はよくわからないそうである。 最後に村のこれからを尋ねると、今も昔もずっと変わっていないそうであり、これからもあまり変化はないだろうということである。 しこ名というものはやはり、口伝承なので、絶えてしまう所は絶えてしまうそうである。もっと、早くに調査できればと、しみじみ思う自分である。
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