現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/山田

 

1LA97130■  佐藤祐介

1LA97157■  田中康道

 

○山田地区のシュウジ

山田地区は大きく3つのシュウジに分かれていて、さらにそれをもう少し細かく分けていました。

・岩根(イワンネ)  古藤構(コトウガマエ)

          向構(ムコウガマエ)

・中組(ナカグミ)  竹ノ下組(タケンシタグミ) *竹ノ下組以外の所はとくに呼び名なし

・下組(シモグミ)  *下組の中では分かれていません。

 

○屋号について

 山田地区には基本的に屋号というものはないそうです。

しかし「古藤」さんを初めとして同じ名字の家が多いため、シュウジと下の名前を使って呼ぶそうです。

「○○の××さん」 ○○・・・シュウジ ××・・・下の名前

()「中組の義明さん」など

 

山田地区のしこ名

・田畑につけられるもの

(小字)

鏡山     ムトウ、カガミヤマ(鏡山)

姫子路    ヒメコウジ(姫小路)

二ノ股    クゲンナカ、フタンマタ(二股)

岩根     セド

小山田    コヤマダ(小山田)

小原     コバル(小原)

大原田    ゼダ、オオバルダ(大原田)、ミチバル(道原)

田中     イチノセ(一ノ瀬)

赤野     カタタ、アカノ(赤野)

外原     ソトバル(外原)

細工作    サイクヅクリ(細工作)

古藤     ガランダ

上古藤    ドウトクヤマ(道徳山)、カミコトウ(上古藤)

夕利堂    シロイシ(白石)、ヤシロ

*夕利堂のあたりが原図にもないためシロイシ、ヤシロというしこ名を地図に落とせませんでした。

・山、谷につけられるもの

鏡山   カガミヤマ(鏡山)

赤野   コウゴウヤマ

古藤   オキャシダニ

上古藤  ドウトクヤマ(道徳山)

 まず、田畑についているしこ名が小字名と一致していることも多いとわかりました。また、鏡山という名は小字名であり、山のしこ名であり、田畑のしこ名であるという感じでした。そして道徳山というしこ名を持つ山のふもとの田畑のしこ名は道徳山でした。

 

・川・水路に付けられているもの

 特に川・水路に付けられたしこ名はないそうです。

 

・田の圃場整備

 カミコトウ(上古藤)、ドウトクヤマ(道徳山)のところで、十数年前に圃場整備が行われていたとの情報が得られました。また、常福寺の上の方(オオバルダ(大原田)の付近)34年前圃場整備が行われたとの情報を得、直接そこへ見に行くと、田の一枚一枚に整理番号のような番号がつけられていました。

 

・山田の範囲

 これは訪ねた方々に尋ねましたが、どなたも明確な範囲はご存知ありませんでした。また山田と瀬戸の境界についてははっきりとした境界はないのではないかというお話も聞きました。

 

○山田の水利

・七股溜(ななまただめ)

現在、浜玉町の方に委託をしている。しかし、水利権があるものではないと、勝手に水をとることはできない。

・配水の慣行

用水の取入口のところに、砂利、砂などでフィルターのようなものを作り、そこからこすようにして取り入れる。そうすることによって、大量に水を取り入れることを防ぎ、あるところだけが水を取りすぎるといった揉め事を防ぐ。

・村の水争い

山田と唐津市の半田との水争いが深刻であった。半田に溜池を作っていたが、明治24年の水飢饉の際に争いとなった。この争いは大変なものでなかなか決着がつかず、東京大審院の裁判にまでもつれこんだ。この訴訟費用は一戸当たりの割当費用が千円をこすほどにまでなり、離村した家も数戸あるらしい。結局この争いは山田の敗訴となった。

・用水の名前

特に付けられてないとのことであった。

・「山田流れ」

1847527日の大洪水は死者49名、流れた牛馬21匹、家22軒が崩壊という大変な被害を出した。このことは「山田やんぼし流れて下る、浮つ沈みつ横田川」というふうに後世に伝えられている。

 

○山田の祭祀

4月:春祭り・・・瀬戸の明神様をお祭りする。

7月:火の輪くぐり

9月:黒土さん

 

○氏神関係・・・特にこれといってないらしい。

浜玉町史より

・袈裟丸様の「おこくら」−袈裟丸、市丸、内山ら十軒くらいで祭る。

・観音堂−加茂三軒が祭る。

・中村権現−中村一統の祭祀である。

・藤原仏−常福寺のもとの薬師堂は狂言を催されるほどの広さがあったので青年たちは本尊のお薬師様を観音開きの押入れの中に押し込め畳をしき、青年宿とした。ところが青年たちが泊まると、薬師様が出てきて首根っこを抑える。という話の青年宿が、現在の山田公民館である。今この薬師様は藤原仏の見事なもので常福寺境内の薬師堂に安置されている。

 

○調査当日の行動記録

9:45  マリンセンターおさかな村着

・調査内容 打ち合わせ

・売店の方に(山田出身の人)山田・瀬戸・野田方面の行き方を聞く。

10:40  おさかな村出発

11:20  山田着 調査開始

同    内山茂敏さん宅訪問

・おばあさんにお話しを伺おうと思い、訪れたが、あまりタンナカのことには詳しくないとのことだった。

11:30  一丸義男さん宅訪問

・たまたま玄関のところにいらっしゃったおばあさんにお話しを伺った。大原田(おおばるだ)、小原(こばる)、竹ノ下(タケノシタ)等のしこ名を教えていただいた。また区長さんのお宅を教えていただいた。(実は事前にアポイントをとろうとして断られた渡辺さんは区長さんではなかった)

11:40  古藤武さん宅訪問

・市丸さんからここの家のお父さんが区長であることをうかがって訪問したが、留守らしく誰もいなかった。

11:45   古藤栄記さん宅訪問

・訪問したとき、まだご主人が農作業に出ていて、不在であった。こちらのおばあさんにお話しをうかがったが、あまり詳しくはご存知なく、市丸さんのところで聞いたしこ名の確認程度で終わった。さらに、その前の家の方がもっとたくさんご存知だとのお話だったのでそこに伺うことにした。 

12:00  古藤義明さん宅訪問

・ちょうど農作業から帰っていらっしゃったご主人にお話しをうかがった。小山田、岩ノ根、赤野、などのしこ名をお聞きした。

12:15  古藤武さん宅訪問

・ご夫婦にお話しを伺った。「しゅうじ」(村の中を細かく区分する呼び名)について、中組、下組などがあることにしこ名もお聞きした。しかし、山田の西部については詳しくないそうで、堆肥センターにいって聞いてくるといい、と言われたので堆肥センターへ向かうことにした。

13:00  JA松浦東部堆肥センター着

・瑚々の職員さん2名にお話しを伺った。このお2人はかなり詳しく、かなりの量の情報を得られた。タンナカ、山、谷のしこ名はほぼ一通り集められた

しかし、用水にはしこ名というような名前は付けられてはいないとの話だった。また山田と瀬戸の境界についても明確にはないとのことだった。

13:40  古藤百秀さん宅訪問

・古藤さんが二十数軒あるので何か屋号があるのかと思って訪問したが、あいにく息子さんのお嫁さんしかいなく、こちらの方はご存じなかった。

13:50  古藤 栄記さん宅訪問

・今度は屋号について再びお聞きしようと思い、訪れたが、屋号は特にないとの回答だった。ただ、中組の〜さん、竹ノ下の〜さん、下組の〜さんというような区別の仕方だけである。

14:00  調査終了

14:40  おさかな村 着

・調査内容の検討及び休憩

16:10 バス到着

・一度バスに乗り込んだものの、祭祀関係を聞き忘れたことに気づく。さらに古藤栄記さん夫妻をおさかな村でお見かけしたことも思い出し、大急ぎでご夫妻を探すことになる。

16:20  古藤栄記さん夫妻 再再訪問

・先生と一緒にご挨拶に行く。そして祭祀関係のお話しを聞いて、さらに水争いのこと、水の取り入れ方など重要な情報を最後の最後でお聞きすることができた。

16:30  バス出発 調査終了

 

○調査を終えて

事前のアポイントが取れなかったため、調査はやや難航したが、地元のご老人方と接してみて、ご老人方がたいへん親切、丁寧に教えてくださったのが幸いした。また、最終的に調査内容も充実したものとなり、私たちの目標もほぼ達成されたと思う。佐賀県でも過疎が進んでいる地域というのは私たちは行ったことがなく、また日常でもあまり気にすることはなかったので、今回調査で訪れたことは、その現状を知り、その地の歴史や風土、語り継がれ守られ続けた伝統などを認識し、また考察する良い機会であったと思う。私たちの日々が忙しく時間が流れていく都会の生活から離れて、田舎のゆっくりとした時間の中で、歴史を考察してみるのも決して無駄なことではなく、古いものから何か新しい発想や視点が見いだせるのではないかと思う。



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