現地調査レポート/佐賀県/唐津市浜玉町/簗場

 

1LA97093■  久我高広

1LA97114■  斎藤司

 

○行動記録及びレポート

10:00ぐらい 簗場着 現地確認

 近くにあった中村機工という工場に近所で物知りのおじいさんやおばあさんがいるかどうかを尋ねた。そこで重勝さん(昭和4年生まれ・68歳)と大場秀雄さんという名前を教えてもらう。

 

重勝さん宅 訪ねたところ、訪問販売と間違われる。きちんと説明し聞き取りを開始する。

・しこ名として分かったのは、ウノクビ(鵜の首)というものだけだった。

 

簗場という名の由来は、昔少なくとも江戸時代の後期あたりからは、重勝さん宅の2、300m上流に鮎を取るためにやま(梁、簗)がしかけられていたから、簗場というようになったそうである。

また、千原とよばれるあたりは、かつて小さな合戦があり、血の原→千原となったらしい。

裏の山等についても聞いたが、何も名はなかった。

 

○村の水利について

昔は水に困ることはほとんどないそうで、井戸水が主流であるようだった。また、3年前の大干ばつはどうだったかを尋ねた所、何の影響もなかったそうである。ただ、五反田の方で何軒か井戸を掘ったそうだ。

家の裏側にある山には、千原川から水を上げて、スプリンクラーでまいているそうだった。

 

○村の範囲

定かではなかったが、川の上流の方を川上とも呼ぶそうだが、一般に簗場で通用するとおっしゃっていた。しかし、厳密に簗場というと、かなり狭い地域になるとのこと。

 

○村の道

現在の国道323号線は、古道を拡張して作ったものであるらしい。昔は、現在の半分ほどの幅であり、松の木が川沿いに植えてあったらしい。また、仁部のほうから柳瀬へくるには古道があったらしい。しかし地図がそこまでなかった。

 

○村の祭祀

地図中の生目神社とは八幡神社のことだが、小さな祠があるだけで、公園のようなものであり、特に祭りはないとのこと。

現在:

1月 お伊勢講 神さんにかこつけて、人が集まり騒ぐそうだ。(昔は日付が決まっていたが、現在は人間の都合に合わせる)

夏  川祭り

他に、内山さんという人の家で、よど姫さんというものを祭ってあり、時々およばれにあずかるらしい。このよど姫さんというものは、内山さんの家の庭から出てきたものであるようだ。

 

また、今は無いそうだが、重勝さんが子供の頃は、お大師さんの講というものがあり、お

ばあさんたちが集まり話していたそうだ。集まる場所は、各々の家を順番を決めて使用し

てらしい。この講では、昔お遍路さんが近所に来たら接待していたとのこと。現在お遍路

さんは見かけないらしい。

 

その他の情報

梅豆羅橋という橋の名は、戦の占いか何かで、紫石の上からえさなしで魚がつれ、「あなめ

ずらし」の「めずら」からついたとか、大伴家持か誰かの和歌があったとかの説があるらしい。

 

○村のこれから(現状も含む)

戸数が減ってきており、若い人もいない。老人もどんどん死んで行っているとのことだった。

 

重勝さんの話で行くと、簗場そのものがしこ名であるようだった。

 

その後、大場さんの家や周辺の家にも行ったが、留守の家が多かった。

簗場でこれ以上情報は得られないと考え、一本松の方へ行く。

そこで、一本松担当の人と合流した。

その後、玉島小学校のとなりの公共施設を訪ねたりしたが、情報は得られなかった。

 

もう時間も差し迫り、座り込んでいたところ、近所のおばさんに、「あんたたち何ばしよっとね」と話しかけられ、事情を話す。

「そいけん今頃ウロウロしよっとのおったとね」と納得され、私たちが怪しく思われていたのだとしみじみと思う。

 

その後紹介してもらった家へ行くが、またまた留守であった。最後に紹介してもらったところで、少々お話しを聞くことができた。

時間がなく名前を聴きそこねてしまったが、たぶん一本松担当の人が記録していたと思う。

 

わかったしこ名、サガリマツ。

昔、道にかかる松があったからだそうだ。

また、一本松は、現在の簡易郵便局の隣に一本松があったからついたしこ名であるらしかった。

また、北の山は昔、城があったから乗算というらしかった。

また、川沿いに水路があり、これは昔からあったらしかった。そして昔川沿いに松が植えられていたということを聞いた。

そのほかに屋号として、飴源さんというのを聞きました。これは現在もお店で、飴屋の源吉さんが160年前作った川魚料理屋だそうだ。

また、話しかけてくれたおばさんの話では、最近、70代以上の人が大勢死んでしまったらしかった。そして、重勝さんの話では、五反田にすごく物知りのおじいさんがいたが、99歳で死んでしまっていたらしかった。

 

そういうことの影響もあったのか、調べられたしこ名は本当に少なかった。

簗場

サガリマツ

川上

ウノクビ(鵜の首)

五反田

シロヤマ(城山)

 

果樹園にもしこ名があるかと聞いてみたが、「川上んたいに行ってくってしか言わん」と小字しか使用しないと言われた。

 

○感想

調査し、いろんな人に聞いてわかったが、この地域では、しこ名が小字になったようである。やはり、しこ名の中にしこ名を探すのは難しいように思った。最後の最後にいろいろ聞けましたが時間がなかったのが残念だった。

 

 



戻る