佐賀県唐津市浜玉町戸房

 

1TE97498■  丸山金満

1AG97117■  瀬戸紘美

 

・聞き取りした方(敬称略)

加茂定国(S10 )

  和子(S14 )

  サヨ(M36)

平尾友枝(S11)

 

戸房

しこ名一覧

田畑

@     カワバタ(川端)

A     ユノシリ(湯ノ尻)

B     サンダダ

C     ヒノサカ(日ノ坂)

D     マエダ(前田)

E     ヒノモト

F     キシダカ(岸高)

G     トリゴエ(鳥越)

H     テラノオ(寺野尾)

I     イワゾエ(岩添)

J     テラノ

その他

ハチロウモリ(八労森)

 

戸房

使用していた用水路

用水源

共有している村

前田井手

サンダダ井手

アブチ井手

テラノ井手

小川川(戸房川)

ナシ

昔の配水の慣行・約束事

昔の水争いの有無

これといった約束事はない。

比較的平和で、水争いはないが、明治頃古瀬との間に水争いがあった。

(戸房川を両村が用水源としていたから)

この地域ではもともと高い場所にあり、水が不足することはありませんでいたが、水を田に引くのに苦労するため、昭和30年代中ごろのみかんブームに乗り、田を果樹園としたため、前ページで調べた田畑のしこ名は田畑のあった地域を指しているし、用水も現在使用されていなかったり、埋めて果樹園の一部となっていたりするところもあるそうです。そのため、1994年の大渇水の影響を受けることもなく、もし、田畑を作っていたならば、水不足で苦労し、また近くの古瀬などとも水をめぐって争いが起きていただろうという話でした。

 

・屋号について

氏名

屋号

理由

加茂馴

ホンケ

天正11年ごろ、戸房に移り住んできた。そして、戸房という集落の中で、影響力のある加茂家の本家だから。

松下長生

アンノモト

今現在公民館のあるところに、延宝5年ごろからあった尼寺の下にあった家だから。またその尼寺の境内にあった松ノ木が松下という名字の由来である。

平尾忠義

カマエ

平尾家から分家する際、親戚同士で互いの家を呼ぶときに、言っていた名前が集落中に広まって屋号となった。

  マキヨ

シタガマエ

  鎮郎

カマエンサキ

岡部富雄

カンネワラ

カミナリが落ちたから。

進藤幹雄

マゲモンヤ

昔、まげものをつくっていたから。

平尾豊司

カシラ

確かなことは、分からないが、集落の上のほうに住んでいるかららしい。

平尾保

ハシ

集落の端や橋の近くに住んでいたわけではない。

平尾義和

サガリ

以下不明。

平尾正敏

ヒガシ

山下正之

コーラ

岡部正夫

ドンウラ

栗原義正

アタラシイイエ

 

 

1日の行動記録

 712日は長く降り続いていた雨もやみ、暑くもなく、寒くもなく、久しぶりにすごしやすい朝をむかえました。2時間近くバスに揺られている間、私たちの心の中は期待と不安だらけでした。というのも事前に区長さんに連絡した際、712日当日は区長さんは用事があるため不在らしく、また区長さんに紹介していただいた方も用事があるから調査への協力は無理かも知られないといわれていたからです。

 そうこうしている内に、目的地、戸房の近くの草場というところでバスを降ろされ、堂進めば、戸房に行けるのかわからず、逆の方向に進み「青木建築」というところで、戸房へどう行けば良いのか教えてもらい、何とか目的地につくことができました。

 しかし、そこでまた一つ驚くことがありました。住宅地図に間違いがあったのです。道を挟んで家が逆のほうにあり、また戸房と少しはなれたところにある南山という集落の名が戸房の中にあったからです。

 私たちはまず「牧瀬商店」に立ち寄り、玄関から声を掛けましたが、一向に返事のありそうな気配がありません。それから2軒ほど声を掛けましたが留守か、あるいは20代の若い方しかおられず、不安がますますつのりました。しかし、そこで途方にくれていてもしかたないので、とにかく次の家を目指し動き始めました。すると縁側で話をしているおばさん3人がいました。その3人のおばさんたちはとても人当たりのいい方々ばかりで順調に調査は進み、特にその3人の方々には屋号について詳しく教えていただきました。さらに、より詳しい方も紹介してくれるなどして、とても助けていただきました。今回の調査で戸房で心の優しい方々とめぐり合うこともでき、大変有意義なものとなりました。

 



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