佐賀県唐津市浜玉町谷口 1LT97140■ 本田みどり 松木亮子 聞き取りした古老 池田群治 大正13年生まれ [しこ名一覧]
[村の水利に関して] 浜玉町全体が、昔から水は豊富だったそうだ。よって、1994年の大旱魃の時も、水不足に悩まされるということは全くなかったそうだ。現在も、田畑の水は玉島川の上流から灌漑している。水はありすぎるくらいで、現在はみかんの栽培が盛んになってきているが、旱魃の方がいいみかんができるため、機械などで調節している。水は限りなく豊富だったため、ほかの村との争いなどは全くなかったそうだ。現在は整備されて1つ1つ田んぼに水路があるが、昔は上の方から順に水を落としていたそうだ。よって、農作業はほかの家と合わせて進めていたそうだ。 [村の耕地について] 谷口の田には1等田か7等田まであった。 天神田のあたり−1等田。水のかかりがよく、排水も良かった。普通で8俵、豊作では10俵ほど取れた。(化学肥料を使った場合) 家の近く−6~7等田。生活排水が入り、湿田になってしまったから。 圃場整備のなされた今は等級はない。 [肥料について] 化学肥料の前は大豆かす、山草、蓮華草、稲わら、麦わらなどを使っていた。今はこのような有機肥料を使わないため、土地がやせて来ている。 [入り会い山について] 共同草刈場があった。農耕馬、牛を入会地に連れて行き、朝、草を借り、牛馬の背中にのせていた。体力のある人は自分も背負った。現在は造林して杉山になっている。 [祭祀について] 谷口には天神様、観音様、みょうけん様が祀られている。 天神様の祭りをお通夜という。10月25日。神無月に髪が出雲へ帰るので、まきなどを持ち寄り、火を炊いて、酒盛りをする。この時のお酒は竹に入れて温めたかっぽ酒というもの。20件暗いから、1家族1〜2人の参加があった。老若男女が参加でき、子供の楽しみだった。それとは別に、春秋の彼岸にはのぼりをたてる。無会社おこもりといってお供えをしていたが、今はしない。 [村のこれから] 池田さんのお話−現在、日本では自給率が30%台まで低下している。日本が独立国家なら70%ぐらいは自給するべきだ。今の農業政策には納得しない。日本は贅沢をしすぎている。作る方の苦労がわかっていない。 [1日の行動記録] 10:00 谷口到着 聞き取り 12:00 食事 13:00 古墳・公民館見学 14:00 谷口出発 16:30 バス乗車 ・谷口古墳P 私たちがしこ名などの聞き取りを終えたあと、池田さんがすすんで古墳を案内してくれた。池田さんは10年ほど歴史を学んでいるとおっしゃっていた。古墳は池田さんの家のすぐ裏にあった。3、4世紀ごろにつくられた前方後円墳で出土品も多い。 後円部には長持形石棺(いくつかの石の板を組み合わせるようにしてつくっている)が2つ。副葬品は鏡5面、勾玉、菅玉8つ、小玉、碧玉製石釧11、鉄剣1。 前方部からは舟形石棺(石をくり抜いたものにふたをかぶせたようなもの)が放送のためのスピーカーの柱を立てようと穴を掘っている時に硬いものにぶつかって発見された。中には赤く塗られた(防腐剤らしい)ミイラがあって発見した直後はきれいに原型を保っていたが数時間で崩れたらしい。発見者の中の1人に九州大学に知り合いのいる人がいて、その人が大学の人を呼んだら、ミイラを持って行かれたので、後になって、県や町から、褒められるとばかり思っていた人達は勝手なことをしたと言って怒られたという。この舟形石棺はもう1つあるはずなのだが、それは今もわかっていない。 公民館には折檻の作り物や、副葬品の写真などが史料として並べられていた。 ・城山Q |